(3) 掛語・序詞と歌枕の成立
 「玉櫛笥タマクシゲ明けむ」「玉櫛笥開ヒラきて」のように、掛詞的に次に続き、併せて連
用修飾の役割を果たすと云う用法とは違うが、矢張り王朝の古典和歌に繋がる用法を示
す注意すべき『万葉集』の枕詞として、「吾妹子ワギモコに」が挙げられる。
 今、「逢坂山」に続く二首、
 
 吾妹子に逢坂山のはだすすき 穂には咲き出でず恋ひわたるかも(巻十)
 吾妹子に逢坂山を越えて来て 泣きつつをれど逢ふよしもなし(巻十五)
 
に限って見ると、前者が『古今集』の墨滅歌スミケチウタに「わぎもこに逢坂山のしのすすき
穂には出でずも恋ひわたるかな」として見えるように、『万葉集』としては、随分新し
い表現であることが分かる。「吾妹子」を「逢坂山」と云う体言に掛かる枕詞だと説明
して済ませてしまえば事は簡単だが、それだけでは収まらない。「吾妹子に逢坂山」が
「吾妹子に逢ふと云う名を持つ逢坂山」と訳せるとすれば、第三句以下もそれと無関係
とは思えないのである。念のために全体を訳してみると、「吾妹子に逢うと云う名を持
っている逢坂山の、あのはだすすきならば、穂を出すように、思いを外に示し得るので
あるが、私ははだすすきでないので、思いを示せないままに、ただただ恋い慕うばかり
であるよ」と云うことなのである。この「はだすすき」をも「吾妹子に」と同様に枕詞
として扱うのが一般的であるようだが、「吾妹子に逢坂山のはだすすき」が一つに凝縮
して一首全体の発想と表現を統括する序詞になっていることを重視すべきなのである。
 
 二首目の「吾妹子に逢坂山を越えて来て・・・・・・」の場合も同じである。「吾妹子に逢
うと云う名を持つ逢坂山、その山を越えてここまでやって来て、泣きながら恋い慕って
いるけれども、逢う手だてとてありません」と言っているのであって、「吾妹子に逢坂
山」が一首全体に関わっている点、前の歌と同じで、『万葉集』の枕詞の変遷振りが改
めて確認されるのである。
 
 ところで、「・・・・・・逢うと云う名を持つ逢坂山」と云うように、その名の裏に人事的
な意味を含み込んで表現する方法は、平安時代を中心とする古典和歌の世界においては、
あまりにも一般的であった。
 今、「逢坂」に拘コダワってみると、
 
 思ひやる心は常にかよへども 逢坂の関越えずもあるかな(後撰集・恋一・三統公忠)
 
は、熱い心の伝言メッセージを通わせてはいるが、「逢う」という関門を越えていないこと
であるよと嘆いているのであり、
 
 知らざりし時だに越えし逢坂を など今さらに我まどあらむ
                           (後撰集・恋六・読人不知)
 
の場合は、一度関係を持ってしまった女にその後は逢えない嘆きを表白しているのであ
って、要するに「逢坂(の関)」は「吾妹子に逢うと云う名の逢坂」を前提にしての表
現であり、『万葉集』では枕詞的或いは序詞的に表現されていたのに、ここでは「逢坂
」と云う一語の中に全てを凝縮してしまっているのが特徴になっているのである。
 
 「逢坂」と同じように、地名が何がしかの人事的な意味を、掛詞を媒介として含み込
んでいる例は、古典和歌に極めて多い。今、五十音順に少しだけ挙げてみると、「明石
(明し)」「浅間(あさまし)」「粟津(逢はず)」「粟手(逢はで)」「阿武隈川(
逢ふ)」「近江アフミ(逢ふ身)」「嵐山(あらじ・荒し)」「生イキの松原(生き)」「生
野(生く・行く)」「泉川(何時見イツミ)」「印南野(否み)」「磐手イハデの森(言はで
)」「伊吹山(言ふ)」「入佐山イルサヤマ(入る)」゜浮田の森(憂ウき)」「宇治(憂ウ)
」「打出の浜(うち出づ)」「宇津の山(うつつ)」などのように枚挙に遑イトマがないの
である。
 これらは言い換えると、「明アカし」と云う名を持つ明石、「小暗ヲグラし」と云う名を
持つ小倉山と云うことであり、従って、
 
 大堰川オホイガハうかべる舟のかがり火に 小倉オグラの山も名のみなりけり
                             (後撰集・雑三・業平)
 もみぢ葉を今日はなほ見む暮れぬとも 小倉の山の名にはさはらじ
                              (拾遺集・秋・能宣)
 
のように「名のみなりけり」「名にはさはらじ」と言って、名と実の関係を問題にする
のである。
 地名以外の名詞についても同じことが言える。例えば「をみなへし(女郎花)」の場
合、これを詠んだ殆どの歌は「をみな(女)」と云う名を持っている花と云う前提で詠
まれている。
 
 名にめでて折れるばかりぞ女郎花 我堕オちにきと人に語るな(古今集・秋上・遍昭)
 
名に興味を持って折っただけだから、これを私の堕落の表れだなどと他人には語らない
で欲しい、と冗談めかして女郎花そのものに告げているのである。
 
 夕されば玉散る野辺の女郎花 枕定めぬ秋風ぞ吹く(新古今集・秋上・良平)
 
『古今集』の遍昭の歌とは全く趣きを異にするが、「女」と云う名を持つ「女郎花」に
「倦アき」と云う名を持つ「秋風」が吹いていることは分かる。
 このように、『古今集』から『新古今集』に至る古典和歌の時代を通じて、同音を含
んでいることによって「・・・・・・と云う名を持つ」と云う形で詠まれることは、「名」と
云う語を表面に出すか出さぬかは別として、極めて多かったことが知られるのであるが、
これこそ、正しく歌枕と称してよいものなのである。
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