14b 楽舞考[大鼓・鞨鼓・鶏婁鼓・壱鼓・鉦鼓・方磬・拍子・楽舞雑載]
 
[方磬]
方磬ホウキャウはまた、方響に作り、或は鉄響とも称す。
方磬は、鉄或は銅を以て作る。長さ九寸、広さ二寸、上円く下方なり。
一架凡て十六枚、分て二格に編懸す。下格は右を首とす。其の名を合、四、一、上、江、
赤、工、凡と云ひ、上各は左を首とす。其の名を上凡、六、五、邑キャウ、上邑、亡、斗、
下と云ふ。
撃つに両桴を用ゐる(鯨鬚或は水牛角)。亦楽を節するの器なり。故に方響を撃つ時は、
鉦鼓を用ゐざるを法とす。
倭名抄に、懸二十四とあるは、蓋し其の大架なる者を謂ふか(十二律各倍律を加へて二
十四律なり)。
続日本紀に、天平七年、入唐留学生上道真吉備、「献鉄方響」とありて、此器始て見は
れ、其の後ち方磬師、方磬生の名、格式に著はれたり、以て其の来ることの尚しきを知
るべし。今亡びて伝はらず、拍節の如き、得て攷ふ可らず。
 
磬は、製するに石或は玉を以てす。其の名、倭名類聚抄、拾芥抄等に見ゆ。然るに朝儀
に此器を用ゐしこと、古書に見る所なし。蓋し中世以来、方響若しくは鉦鼓を以て之に
代へしに由るか。今は惟仏家に之を用ゐる。
 
[拍子]
拍子ハウシ・ヒャウシは、蓋し天岩戸の神遊に権輿す。故に専ら神楽に用ゐ、また催馬楽、東遊
に通用せり。
拍子は二枚、其の形笏に似たり。相撃ちて声を発し、以て声楽を節す。尋常の笏を用ゐ
るものを笏拍子と称するに対して、之を大拍子と云へり。
 
編木はササラと云ひ、またビンザサラとも称す。此器は中古専ら田楽に用ゐたり。
筑子コキリコは、竹管にて製し、打合せて拍子を取るに用ゐる。後専ら放下師の手に弄する
所と為れり。
四つ竹ヨツダケは、左右の手に竹の小片二箇づゝを握り、各々打合せて音を発し、以て節奏
するものなり。承応の頃、長崎の人某大坂に来りて、伝ふる所なりと云ふ。
反鼻ヘンビは、字また反尾、扁尾、或は遍鼻に作る。右部に遍鼻胡徳の曲あり、蓋し高麗
の器なり。其の状は巴文に似て、長さ一尺、桴の長さ亦同じ、倶に製するに桧木を以て
す。凡そ輪台、青海波を舞ふや、関白、左右大将其の随身、及び滝口四十人を率ゐて参
列す。これを垣代カキシロと称す。其の時各々此器を撃ちて、以て舞節に合すと云ふ。其の
他は未だ用ゐる所を聞かず。
 
祝はシクと云ひ、攴(吾偏+攵)はゴと云ふ。常に併称してシクゴと云ひ、また魚鼓と
も称す。祝は形漆桶の如くにして、方二尺四寸、深さ一尺八寸、中に椎柄ありて底に連
ね、旁に孔を開き、手を中に入れ、これを撃て楽を作す。攴(吾偏+攵)は状ち伏虎の
如くにして、背上に二十七の且(金偏+且)吾(金偏+吾)あり。砕竹を用ゐて、逆し
まに之を擽て以て楽を止む。是其の製作の概なり。
興福寺の常楽会に、河南浦を奏する、此器を用ゐしと云ふ。今亡びて伝はらず。
 
[楽舞雑載]
傀儡クグツは、歌を謡ひて人形を舞はすと謂ふなり。
初め遊女の弄ぶ所なりしが、後には男子の専業となれり。
弄丸タマトリの類には、弄鈴スズトリ、弄刀、弄槍、弄枕等あり。此等を総称して品玉シナダマと
云ふ。
呪師ジュシ・ノロンジは、呪咀して幻術を施すの謂ならん。
放下は、今の手品の類にして、透撞は蓋し後の軽業を謂ふならん。
 
品玉
しな玉か何ぞと人のとひし時 露とこたへんきへてなければ(吾吟我集 九雑)
 
一二 家集蛍火乱風
風ふけばうちあぐる浪に立ゐして 玉のひふつくよはの夏虫(夫木和歌抄 八蛍)
 
放下
月見つゝうたふはうかのこきりこの 竹の夜声のすみ渡る哉(中略)
やぶれ僧えほしきたればこめらはの 男とみてやしりにつくらん(七十一番歌合)

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