[詳細探訪]
参考:小学館発行「万有百科大事典」
〈唐津焼〉
唐津焼とは、肥前一帯(佐賀県・長崎県一部)に散在する三百近い窯で焼かれた陶器の
総称である。唐津と呼ばれたのは、唐津に近い岸岳キシダケ諸窯(飯胴甕ハンドウガメ・帆柱
ホバシラ・皿屋・道納屋谷ミチナヤタニなど)のものが最も古く、その製品が唐津の港から各地へ出
されたのが元であろう。岸岳の中でも飯胴甕窯は唐津最古と云われ、その起こりは既に
室町時代に始まると見られている。しかし唐津焼が盛んになったのは桃山時代からで、
即ち豊臣秀吉の文禄・慶長の役に多数の朝鮮陶工が鍋島藩の手で連れ帰られたが、やがて
彼等は領内の肥前一帯で窯を築き、李朝風の陶器を焼いた。唐津焼の全盛時代は慶長か
ら元和(1596〜1624)にかけてで、これを古唐津と呼んでいるが、有田で磁器が始まっ
てからは、これに押されて次第に衰退した。
古唐津の多くは甕カメ・鉢・碗などの雑器であるが、中に一部では茶器や懐石道具も焼か
れている。釉には、灰釉・藁白釉ワラジロユウ(失透の白ナマコ)・長石白釉・黒飴釉がある。
釉下に褐色の絵付したのは絵唐津と云われ、古唐津で最も賞美される一つである。また、
朝鮮系の刷毛目ハケメや三島(象嵌ゾウガン)も、簡素な装飾手法として使われている。古唐
津の種類では、最も多い無地ものはときに無地唐津とも云われ、これに次ぐのは絵唐津
で、素朴な画趣が茶人に悦ばれ、斑マダラ唐津も特色の一つであるが、これには沓形の碗・
鉢で飴釉と白ナマコの掛分けになったものと、白ナマコだけのものと二種があり、朝鮮
唐津と呼ぶのは、黒飴釉の地に白ナマコの流し掛けになったのが特色で、茶人の間で殊
に珍重され、瀬戸唐津(皮鯨カワクジラ手)は平茶碗で口縁に黒い縁釉が掛かっている。そ
の他黒飴釉の手は黒唐津と云われ、黒飴釉と白釉とを二重掛けした蛇蝎ジャカツ手、中期以
後のものに献上唐津や、刷毛目に錆絵と銅緑彩の松絵の飯胴甕・徳利がある。