△汎神論者
汎神論とは、ウィキペディアによれば、
「汎神論(はんしんろん、Pantheism)とは全ての物体や概念・法則が神の顕現
であり神性を持つ、あるいは神そのものであるという宗教観・哲学観。万有神論。」
ファウストの作者ゲーテも、汎神論者の一人とされている。
神道のアニミズムも、汎神論と共通するものがあると云う。
芥川龍之介は、「三つのなぜ」で次のように述べている。
なぜファウストは悪魔に出会ったか?
ファウストは神に仕えていた。従って林檎(りんご)はこういう彼にはいつも
「智慧(ちえ)の果」それ自身だった。彼は林檎を見る度に地上楽園を思い出した
り、アダムやイヴを思い出したりしていた。
しかし或雪上りの午後、ファウストは林檎を見ているうちに一枚の油画を思い出
した。それはどこかの大伽藍(だいがらん)にあった、色彩の水々しい油画だった。
従って林檎はこの時以来、彼には昔の「智慧の果」の外にも近代の「静物」に変り
出した。
ファウストは敬虔(けいけん)の念のためか、一度も林檎を食ったことはなかっ
た。が或嵐の烈(はげ)しい夜、ふと腹の減ったのを感じ、一つの林檎を焼いて食
うことにした。林檎は又この時以来、彼には食物(くいもの)にも変り出した。従
って彼は林檎を見る度に、モオゼの十戒を思い出したり、油の絵具の調合を考えた
り、胃袋の鳴るのを感じたりしていた。
最後に或薄ら寒い朝、ファウストは林檎を見ているうちに突然林檎も商人には商
品であることを発見した。現に又それは十二売れば、銀一枚になるのに違いなかっ
た。林檎はもちろんこの時以来、彼には金銭にも変り出した。
或どんより曇った午後、ファウストはひとり薄暗い書斎に林檎のことを考えてい
た。林檎とは一体何であるか?――それは彼には昔のように手軽には解けない問題
だった。彼は机に向ったまま、いつかこの謎(なぞ)を口にしていた。
「林檎とは一体何であるか?」
すると、か細い黒犬が一匹、どこからか書斎へはいって来た。のみならずその犬
は身震いをすると、忽(たちま)ち一人の騎士に変り、丁寧にファウストにお時宜
(じぎ)をした。――
なぜファウストは悪魔に出会ったか?――それは前に書いた通りである。しかし
悪魔に出会ったことはファウストの悲劇の五幕目ではない。或寒さの厳しい夕、フ
ァウストは騎士になった悪魔と一しょに林檎の問題を論じながら、人通りの多い街
を歩いて行った。すると痩(や)せ細った子供が一人、顔中涙に濡(ぬ)らしたま
ま貧しい母親の手をひっぱっていた。
「あの林檎を買っておくれよう!」
悪魔はちょっと足を休め、ファウストにこの子供を指し示した。
「あの林檎を御覧なさい。あれは拷問(ごうもん)の道具ですよ。」
ファウストの悲劇はこういう言葉にやっと五幕目の幕を挙げはじめたのである。
参考:造り変える力と「神神の微笑」
芥川龍之介は、汎神論者であったのであろうか(えっ! 聖書宗教世界の人だか
らこそ汎神論者と呼ぶが、元々多神教の世界の人なら、わざわざ汎神論者と呼ぶで
あろうか?!?)……。
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