「或る人問う」 ヒトは死後も、内向けスイッチは霊魂として遊離し、存在し続ける、と云うんだね。 「我は想う」 前にも記したように、この世の思想哲学は、私共生きているヒトを対象にして 構築され展開されてきたので、このことからすれば、死後は、内向けスイッチも 切れてしまう。したがって、(死後の)霊魂は何等活動することなく、 安らかに眠り続け、神のなすがままに、それ以降の(冥土での)生涯を 過してゆくことになろう、と。 「或る人問う」 従前の思想哲学の潮流は、霊魂の存在を否定すると云うか、認めようとしなかった のでは……。 しかしながら、そのような思想哲学に、ここかしこに破綻を生じたと云うか、 辻褄が合わなくなってきたことが判明してきた。 そのような中で、「霊魂」の存在を議論する風潮が台頭してきた……。 「我は想う」 ……。 「或る人問う」 一方、「私共は神の恵みによって生きている」とし、神の存在を信じることを 前提として考えてみるとき、 @逝ったヒトの霊魂は、時間の経過と共に研ぎ澄まされて、やがて神々の仲間に 入るであろう。 Aとすれば、ヒトの霊魂は生き続けている、スイッチは入っていることになるのだ、 と考えられよう。 と云うことであろうか。 「我は想う」 そのような考え方に、私は納得したい。 |
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