△種の永続
「或る人問う」
先生(先生の定義は既述のとおり)は、閉鎖された教室で説教するので、ともす
れば傲慢になりやすいことは理解したが、それと種の永続との関係は?
「我は想う」
先生は自己の仮説に没頭〜埋没してしまう傾向にあるため、自分自身の存在を見
失うと云うか、意識的に棚上げしてしまうことがある。
「或る人問う」
先生は、自分には配偶者も親も子もその存在を意識せず、まして人類の一員とし
て、今現在を生きていること、などを白紙として説教をすると云うことだね。自分
は中立なんだ、と云うことを強調したいんだね。
「我は想う」
そのとおり。
「或る人問う」
先生自身、子供から青年、成人、老人と云う「時」の流れに応じて、死に至るこ
とに中立を装うんだね。
世の中は、幼時から老人までで構成され、老人はやがて消え、幼児が成人にな
り、新たな赤ん坊が生まれくると云う、人類は絶えず消長を繰り返し、更新されて
いることに無頓着になってしまうと云うことだね。
「我は想う」
まあ、そのように理解出来よう。
「或る人問う」
生物は生まれながらにして、食と性の本能が備わっている。その故に、自然界の
生物は「円環の思想」(輪廻)の如く、消長を繰り返しながら更新され、それぞれ
の種の永続が図られてゆくのだね。
「我は想う」
輪廻とは、「生あるものが死後、迷いの世界である三界・六道を次の世に向けて
生と死とを繰り返すこと」で、仏教の基本的な概念とされている。
ところで、仏教などに関して「三教の味とは]と云う寓話を紹介する。
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