53 三大建築物と霊魂鎮斎 参考:小学館文庫「逆説の日本史」など △雲太和二京三 これは、平安時代に源為憲タメノリの書いた『口遊クチズサミ』の中に出てくる言葉で、わが 国の三大建築物を意味しているとされる。 当時の姿を推測すると、次のようになる。 @雲太ウンタ=出雲太郎の略、出雲大社のこと A和二ワニ=大和ヤマト二郎の略、大和(奈良)にある東大寺大仏殿のこと B京三キョウサン=京三郎の略、京都御所の大極殿ダイゴクデンのこと つまり、わが国の王である天皇の宮殿よりも大仏殿の方が、大仏殿よりも出雲大社の 方が大きい(高い)と云うことである。 当時の天皇乃至国民は、まず仏教を尊び、なおそれよりも、国譲りをして退いた大国 主神の霊を大事にし祀ったのである。 と云うことは、敗れた大国主神の怨霊(祟り)を畏れ、従ってその怨霊を鎮めるため に、わが国最大の出雲大社を造営したのであると云う。当時(今現在も)の思想の根底 を流れているものは、無念を抱きつつ敗れ去った霊の復讐=祟りがあると信じているこ とである。 出雲大社の御祭神は大国主大神、御客座五神として天之常立神アメノトコタチノカミ・宇麻志阿斯 訶備比古遅神ウマシアシカビヒコヂノカミ・神産巣日神カミムスビノカミ・高御産巣日神タカミムスビノカミ・天之御中 主神アメノミナカヌシノカミが祀られている。 この御客座五神は、『古事記』の冒頭に記載されている、天地開闢カイビャクの初めに出 現したとされる特別な神、つまり「別天神コトアマツカミ・ワケアマツカミ」と称される五柱の神であ る。 神社建築においては通常、御祭神を祀ってある本殿は、南向きか、又は東向きである。 従って御祭神も本殿に倣って祀られいるのが一般的である。ところが、何故か出雲大社 は南向きであるにも拘わらず、主神の大国主大神は西を向いて祀られている。その主神 をお守りしているかのように、その前に御客座五神が南面して並び祀られているのであ る。と云うことは、この御客座五神は恰も大国主大神、即ちその霊魂が外へ出て災いを もたらさないように厳しく見張っているように想像されると云う。 リンク [出雲大社] 因みに、「黄金の出たるを盧舎那佛ルサナブツに白マヲさしめたまふ宣命」の冒頭において、 「三寶ミホトケの奴ヤッコと仕へ奉る天皇スメラが命オホミコトらまと、盧舎那佛の大前に奏マヲし賜ふと 奏さく・・・・・・」と、聖武天皇は盧舎那佛にお仕えしようとして、東大寺の大仏造営が始 められた。 そしてこの造営は、「八幡大神に品位を奉りたまふときの宣命」において、豊前国宇 佐郡に坐す廣幡八幡大神ヤハタノオホカミの神勅「神我れ天神地祇アマツカミクニツカミを率ゐいざなひて、 必ず成りし奉らむ。事立つに有らず、銅湯アラガネノユを水と成し、我身を草木土に交へて、 障る事無く奈佐ナサむ」ことによって、成功した。つまり「神(八幡大神=応神天皇)は、 八百万の神を誘い案内して、大仏建立を必ず成し遂げましょう。大仏建立に当たり、喩 え銅湯(銅を湯に溶かしたもの)が足りなくとも、私が水となって草木や土に溶け込ん で、建立に支障がないように致しましょう。」 と云うことは、聖武天皇は帰依した盧舎那佛よりも、皇祖神=応神天皇の神霊を固く 信じていたことになる。即ち「仏の導き」よりも、わが国古来の「神観念」が勝ってい るのである。外来の仏教思想は、わが国古来の思想によって造り変えらることを、これ らの宣命は示している。 関連 造り変える力と「神神の微笑」 そしてこの八幡大神は、東大寺の、そして大仏の守護神として請じ祀られたのであっ た。今の手向山タムケヤマ八幡宮である。