52 上御霊神社・下御霊神社
本稿は、Googleにより検索したものをその
まま掲載させていただきました。 SYSOP
京都には、上御霊神社と下御霊神社とがある。共に八所御霊と称される祭神を祀って
いる。元々は一つの神社であったと云う。
△上御霊神社
旧府社。祭神は崇道天皇(早良親王、光仁の御子)・他戸親王(光仁の子)・井上皇
后(光仁の后)・火雷神(菅原道真、北野)・藤原大夫神(藤原広嗣)・文屋宮田麿・
橘逸勢・吉備大臣(吉備聖霊とも)のいわゆる八所御霊(八所御霊には諸説がある。)
を祀り、相殿に小倉実起・小倉公連・中納言典侍局・小倉季伴、そして若宮に和光明神
(菅原利子)を配祀する。これらの諸神は、たとえば、『樵談治要』に「八所御霊と申
は、むかし謀反をおこして、その心ざしをとげず、あるひは又何事にても、うらみをふ
くめる霊をまつられたる社なり」とあるように、いずれも怨霊の神々で、当社はその怨
霊を慰撫するために、桓武天皇の御宇に勧請したという(社伝)。すなわち、この頃、
疫病が流行し、そのため死亡者が多く出たが、それはこれら御霊の祟であるとされ、貞
観五年(863)五月二十日、京都の神泉苑で御霊会が行われた。その時の御霊は崇道
天皇、伊豫親王(崇道の御子)、藤原夫人(伊豫の母、吉子)、観察使(藤原仲成か)、
橘逸勢、文屋宮田麿等で、この御霊会が当社ならびに下御霊神社の創祀であるという。
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