04 神霊・皇霊之威・霊のこと
参考:大倉精神文化研究所発行「神典」
〈神霊ミタマノフユ〉
『日本書紀』(垂仁天皇)「常世国・非時香菓」
・・・・・・田道間守タヂマモリ、常世国トコヨノクニより至れり。則ち賚物モチキタレルモノは非時香菓
トキジクノカグノミ八竿ヤホコ八縵ヤカケなり。田道間守、是ココに泣悲イサち歎ナゲきて曰マヲさく、命
オホミコトを天朝ミカドに受けたまはりて、遠く絶域ハルカナルクニに往来マカり、万里トホク浪を蹈フみて、
遥に弱水ヨワノミヅを度ワタる。是コの常世国は、則ち神仙ヒジリの秘区カクレタルクニ、俗タダヒトの臻イタ
る処に非アラず。是を以て往来ユキカヨふ間ホドに、自オノヅカラに十年トトセを経ヘたり。豈アニ、独ヒト
り峻瀾タカキナミを凌シノぎて更マタ本土モトツクニに向ムカはむことを期オモヒカけめや。然るに、聖帝
スメラミコトの神霊ミタマノフユに頼ヨりて、僅ハツカに還カヘり来マイクることを得たるを、今、天皇既に崩
カムサりまして、復命カヘリゴトマヲすことを得ず。臣ヤツコ、生イく雖トも、亦何のシルシかあらむ
と。乃スナハち天皇スメラミコトの陵ミササギに向マイりて、叫哭オラビナきて自ミヅラか死マカれり。群臣
マヘツギミタチ聞きて、皆涙を流しつ。田道間守は是れ三宅連ミヤケノムラジの始祖モトツオヤなり。
即ち、
常世国とは、古代日本民族が、遥か海の彼方にあると想定した国(また、不老不死の
国とも死人の国とも)である。この常世国に天皇の命により派遣された田道間守は、十
年も経ったので、帰国したいと思った。
この遥か遠い国から高波を乗り越えて無事帰国出来たのは、天皇の神霊ミタマノフユのお陰
でした。しかし、天皇は既に崩御されていましたので、復命することが出来ませんでし
た。田道間守は天皇稜にお参りし、そこで泣きながら亡くなりました・・・・・・
『日本書紀』(景行天皇)「賊徒の平定を奏す」
・・・・・・日本武尊ヤマトタケルノミコト熊襲クマソを平コトムけし状サマを奏マヲして曰マヲさく、臣ヤツコ天皇
スメラミコトの神霊ミタマノフユに頼りて、兵イクサを一ヒトタビ挙げて、頓ヒタブルに熊襲の魁帥ヒトコノカミたる
者を誅ツミナひて、悉く其の国を平ムけつ。是ココを以て、西州ニシノクニ既に謐シヅマり、百姓
オホミタカラ無事シヅカなり。唯タダ吉備キビの穴済神アナノワタリノカミ、難波の柏済神カシワノワタリノカミ、皆害
心マガゴコロ有りて、毒気アヤシキイキを放ちて、路人ミチユクヒトを苦クルシましめ、並トモに禍害マガの薮
モトたり。故カれ悉く其カの悪神アシキカミを殺して、並ナラビに水陸ミヅクガの経ミチを開けりと。天
皇是ココに於オキて日本武尊の功イサヲシを美ホめたまひて異コトに愛メグみたまひき。
即ち、
日本武尊は、天皇の神霊ミタマノフユのお陰で熊襲を平定した・・・・・・
〈皇霊之威ミタマノフユ・霊ミタマノフユ〉
『日本書紀』(景行天皇)「日本武尊に勅して東夷を征せしむ」
・・・・・・是ココに於オキて日本武尊ヤマトタケルノミコト乃スナハち斧鉞シルシノツハモノを受けたまはりて、再拝
ヲガみたまひて奏マヲして曰マヲさく、嘗ムカシ西を征ウちし年トキ、皇霊之威ミタマノフユに頼り、三尺
剣ミジカキツルギを提ヒサげて熊襲国クマソノクニを撃ウちしに、未イマだ浹辰イクバクも経ヘざるに、賊首
アダノヒトコノカミ罪に伏しぬ。今亦神祇アマツカミクニツカミの霊ミタマノフユに頼り、天皇スメラミコトの威ミイキホヒを
借りて、往ユきて其カの境ホトリに臨ノゾみ、示すに徳教ウツクシビを以モチてせむに、猶ほ服マツロは
ざること有らば、即ち兵ツハモノを挙げて撃ウたむと。仍ヨりて重カサねて再拝ヲガみまつる。(
下略)
即ち、
昔熊襲を平定出来たのは皇霊之威ミタマノフユであったが、今、東夷を征伐するに際しても、
それは神祇の霊ミタマノフユによるものである・・・・・・
『日本書紀』(神功皇后)「裂田溝・外征の議」
(前略)躬ミヅカラ西を征ウちたまはむと欲オボして、爰ココに神田ミトシロを佃ツクる。時に儺河
ナノカハの水を引マがせて神田に潤ツけむと欲オモほして、溝ウナデを掘りたまふに、迹驚岡
トドロキノヲカに及びて、大磐オホイハ、塞サヤりて溝を穿トホすことを得ず。皇后キサキ、武内宿禰
タケシウチノスクネを召して、剣鏡ツルギカガミを捧げて、神祇アマツカミクニツカミを祷祈イノリノましめて、溝を
通トホさむことを求めしむ。当時トキニ雷電霹靂カムトキして、其カの磐を蹴裂クエサきて、水を通穿
トホさしむ。故カれ、時人トキノヒト、其ソの溝を号ナヅけて裂田溝サクタノウナデと曰イふ。皇后、還カヘ
りて橿日浦カシヒノウラに詣イタりまして、髪ミグシを解トき、海に臨みて曰ノタマはく、吾アレ、神祇
アマツカミクニツカミの教ミコトを被ウけ、皇祖オホミオヤの霊ミタマノフユを頼カガフり、滄海アヲウナバラを浮渉ワタり
て、躬ミヅカら西を征ウたむと欲オボす。是ココを以て、今、頭カシラを海水ウシホに滌ススぐに、若モ
し験シルシ有らば髪ミグシ自オノヅカら分れて両フタツに為ナれと。即ち海に入イりて洗ススぎたまふ
に、髪ミグシ自オノヅカラに分れぬ。皇后、便スナハち髪を結分アげたまひて、髻ミヅラに為シたま
ふ。因ヨりて群臣マヘツギミタチに謂カタりて曰ノタマはく、夫ソれ帥イクサを興オコし衆モロモロを動ウゴカす
は国の大事オホキナルコトなり。安危成敗ヤスキアヤウキナルナラジ、必ず斯ココに在アり。今、征ユき伐ウつ所
有りて、事を以て群臣に付サヅく。若し事成なずば、罪、群臣に在らむ、是コれ尽イト痛イタ
きことなり。吾アレ婦女タヲヤメにして加以マタ不肖オサナシ。然れども暫(暫の日の代わりに足)
シバラく男貌マスラヲノスガタを仮カりて、強アナガチに雄略ヲヲシキハカリゴトを起こし、上カミは神祇
アマツカミクニツカミの霊ミタマノフユを蒙カガフり、下シモは群臣の助タスケに藉ヨりて、兵甲ツハモノを振オコして、
嶮浪タカキナミを度ワタり、艫船フネを整トトノへて、財土タカラノクニを求む。若し事コト就ナらば群臣共に
功イサヲシ有らむ。事就らずば吾独ヒトり罪有らむ。既に此の意ミココロ有マす。其れ共トモドモに議
ハカらへと。群臣皆曰マヲさく、皇后、天下アメノシタの為に宗廟社稷クニイヘを安ヤスくせむ所以ユエを
計ハカりまし、且マタ罪を臣下ヤツコラに及ぼしたまはず。頓首ツツシミテ詔ミコトノリを奉ウケタマハると。(
下略)
即ち、
西(新羅)を征伐したいとお考えになった神功皇后が、儺河から神田に水を引こうと
したら、大岩が塞いでいた。そこで神祇に祈祷したところ、塞いでいた大岩が砕けて通
水することが出来た。皇后は、帰途橿日浦(香椎宮)に詣で、海を臨んで仰いました。
「吾は神祇の教を受け、皇祖の霊ミタマノフユを蒙コウムり、この海原を渡って、自ら西を征伐し
たい・・・・・」
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