『日本人の自然観』
日本の自然
日本における自然界の特異性の種々相の根底には地球上における日本国の独自な位置
というものが基礎的原理となって存在しそれがすべてを支配しているように思われる。
第一に気候である。現在の日本はカラフト国境から台湾(たいわん)まで連なる島環
の上にあって亜熱帯から亜寒帯に近いあらゆる気候風土を包含している。しかしそれは
ごく近代のことであって、日清戦争(にっしんせんそう)以前の本来の日本人を生育し
て来た気候はだいたいにおいて温帯のそれであった。そうしていわゆる温帯の中での最
も寒い地方から最も暖かい地方までのあらゆる段階を細かく具備し包含している。こう
いうふうに、互いに相容(あいい)れうる範囲内でのあらゆる段階に分化された諸相が
この狭小な国土の中に包括されているということはそれだけでもすでに意味の深いこと
である。たとえばあの厖大(ぼうだい)なアフリカ大陸のどの部分にこれだけの気候の
多様な分化が認められるであろうかを想像してみるといいと思う。
温帯の特徴は季節の年週期である。熱帯ではわれわれの考えるような季節という概念
のほとんど成立しない土地が多い。南洋では年じゅう夏の島がある、インドなどの季節
風交代による雨期乾期のごときものも温帯における春夏秋冬の循環とはかなりかけ離れ
たむしろ「規則正しい長期の天気変化」とでも名づけたいものである。しかし「天気」
という言葉もやはり温帯だけで意味をもつ言葉である。いろいろと予測し難い変化をす
ればこそ「天気」であろう。寒帯でも同様である。そこでは「昼夜」はあるが季節も天
気もない。
温帯における季節の交代、天気の変化は人間の知恵を養成する。週期的あるいは非週
期的に複雑な変化の相貌(そうぼう)を現わす環境に適応するためには人間は不断の注
意と多様なくふうを要求されるからである。
そうした温帯の中でも日本はまた他の国と比べていろいろな特異性をもっている。そ
のおもな原因は日本が大陸の周縁であると同時にまた環海の島嶼(とうしょ)であると
いう事実に帰することができるようである。もっともこの点では英国諸島はきわめて類
似の位置にあるが、しかし大陸の西側と東側とでは大気ならびに海流の循環の影響でい
ろいろな相違のあることが気候学者によってとうに注意されている。どちらかと言えば
日本のように大陸の東側、大洋の西側の国は気候的に不利な条件にある。このことは朝
鮮(ちょうせん)満州(まんしゅう)をそれと同緯度の西欧諸国と比べてみればわかる
と思う。ただ日本はその国土と隣接大陸との間にちょっとした海を隔てているおかげで
シベリアの奥にある大気活動中心の峻烈(しゅんれつ)な支配をいくらか緩和された形
で受けているのである。
比較的新しい地質時代まで日本が対馬(つしま)のへんを通して朝鮮と陸続きになっ
ていたことは象や犀(さい)の化石などからも証明されるようであるが、それと連関し
て、もしも対馬朝鮮の海峡をふさいでしまって暖流が日本海に侵入するのを防いだら日
本の気候に相当顕著な変化が起こるであろうということは多くの学者の認めるところで
ある、この一事から考えても日本の気候は、日本のごとき位置、日本のごとき水陸分布
によって始めて可能であること、従って日本の気候が地球上のあらゆるいわゆる温帯の
中でも全く独自なものであることが了解できるであろうと思われる。
このような理由から、日本の気候には大陸的な要素と海洋的な要素が複雑に交錯して
おり、また時間的にも、週期的季節的循環のほかに不規則で急激活発な交代が見られる
。すなわち「天気」が多様でありその変化が頻繁(ひんぱん)である。
雨のふり方だけでも実にいろいろさまざまの降り方があって、それを区別する名称が
それに応じて分化している点でも日本はおそらく世界じゅう随一ではないかと思う。試
みに「春雨」「五月雨(さみだれ)」「しぐれ」の適切な訳語を外国語に求めるとした
ら相応な困惑を経験するであろうと思われる。「花曇り」「かすみ」「稲妻」などでも
、それと寸分違わぬ現象が日本以外のいずれの国に見られるかも疑問である。たとえば
ドイツの「ウェッターロイヒテン」は稲妻と物理的にはほとんど同じ現象であってもそ
れは決して稲田の闇(やみ)を走らない。あらゆる付帯的気象条件がちがい従って人間
の感受性に対するその作用は全然別物ではないかと思われるのである。
これに限らず、人間と自然を引っくるめた有機体における自然と人間の交渉はやはり
有機的であるから、たとえ科学的気象学的に同一と見られるものでも、それに随伴する
他要素の複合いかんによって全く別種の意義をもつのは言うまでもないことである。そ
ういう意味で私は、「春雨」も「秋風」も西洋にはないと言うのである、そうして、こ
ういう語彙(ごい)自身の中に日本人の自然観の諸断片が濃密に圧縮された形で包蔵さ
れていると考えるのである。
日本における特異の気象現象中でも最も著しいものは台風であろう。これも日本の特
殊な地理的位置に付帯した現象である。「野分(のわき)」「二百十日」こういう言葉
も外国人にとっては空虚なただの言葉として響くだけであろう。
気候の次に重要なものは土地の起伏水陸の交錯による地形的地理的要素である。
日本の島環の成因についてはいろいろの学説がある。しかし日本の土地が言わば大陸
の辺縁のもみ砕かれた破片であることには疑いないようである。このことは日本の地質
構造、従ってそれに支配され影響された地形的構造の複雑多様なこと、錯雑の規模の細
かいことと密接に連関している。実際日本の地質図を開いてそのいろいろの色彩に染め
分けられたモザイックを、多くの他の大陸的国土の同尺度のそれと見比べてみてもこの
特徴は想像するに難くない。このような地質的多様性はそれを生じた地殻運動(ちかく
うんどう)のためにも、また地質の相違による二次的原因からも、きわめて複雑な地形
の分布、水陸の交錯を生み出した、その上にこうした土地に固有な火山現象の頻出(ひ
んしゅつ)がさらにいっそうその変化に特有な異彩を添えたようである。
複雑な地形はまた居住者の集落の分布やその相互間の交通網の発達に特別な影響を及
ぼさないではおかないのである。山脈や河流の交錯によって細かく区分された地形的単
位ごとに小都市の萌芽(ほうが)が発達し、それが後日封建時代の割拠の基礎を作った
であろう。このような地形は漂泊的な民族的習性には適せず、むしろ民族を土着させる
傾向をもつと思われる。そうして土着した住民は、その地形的特徴から生ずるあらゆる
風土的特徴に適応しながら次第に分化しつつ各自の地方的特性を涵養(かんよう)して
来たであろう。それと同時に各自の住み着いた土地への根強い愛着の念を培養して来た
ものであろう。かの茫漠(ぼうばく)たるステッペンやパンパスを漂浪する民族との比
較を思い浮かべるときにこの日本の地形的特徴の精神的意義がいっそう明瞭(めいりょ
う)に納得されるであろうと思われる。
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