201 鎮守の森と「日本人の自然観」
 
 いわゆる「鎮守の森」について、いろいろ調べているうちに、PHP研究所発行山折哲雄
著「鎮守の森は泣いている」と云う図書を入手しました。
 その中で著者は、「寺田寅彦の遺言"日本人の自然観"」の項を設けて、次のように述
べています。
 
 即ち、
 「いま私は、寺田寅彦が昭和十年に書いた「日本人の自然観」という論文を痛切に思
いだす。その論文を書いた年の暮れに、あたかもそれを後世の日本人に遺言としてのこ
すかのように、かれはこの世を去った。そのエッセイには、つぎのようなことが論じら
れていたのである。
 
 第一、文明が進めば進むほど天然の暴威による災害はその激烈さの度を増す。平常か
ら科学的な対策を講じておかなければならないゆえんである。第二、日本は西欧の文明
諸国とくらべて特殊な環境による支配をうけており、その最大のものが地震、津波、台
風による脅威である。そのため数千年来の災禍の経験は、環境の複雑な変化に対応する
防災上のすぐれた知恵を日本人のなかに養成することに役立ってきた。
 そして第三に、その知恵の一つとして自然の驚異の奥行きと神秘の深さにたいする鋭
い感覚が磨きあげられた。自然に逆らうかわりに自然にたいして従順になり、自然を師
として学ぶ態度が生まれ、その結果日本における科学の独自の発達がうながされた。西
欧の科学は自然を人間の力で克服しようとする努力のなかで発達したが、日本の科学は
自然にたいする反逆を断念し、自然に順応するための経験的な知識を蓄積することで形
成された。そこに日本人の「民族的な知恵」が凝結しているのであり、日本人の学問の
独自性があるのである……。
 
 私は寺田寅彦が昭和の初期に日本の「自然」と日本の「科学」について、このような
認識をもっていたということに驚く。まさに「鎮守の森」の地下水脈から発する科学的
認識だったということができるだろう。その提言はいまなお新鮮な衝撃力をともなって
眼前に蘇ってくるではないか。
 
 かれはまた、大自然は「慈母」であると同時「厳父」であるともいっている。慈母の
慈愛に甘えるのと同様に厳父のきびしい掟に服することで、われわれの安寧は保障され
てきた。数かぎりない地震や風水による災禍をくぐりぬけて、「天然の無常」という感
覚が遠い遠い祖先からの遺伝的記憶となって五臓六腑にしみわたったのである、という。
 
 自然への随順、風土への適応 − そこに、仏教の根底をなす無常観がもたらされた。
そのように考える物理学者・寺田寅彦の視線に注意しよう。荒涼たる砂漠に一神教が生ま
れたのにたしい、多彩にして変幻きわまりない自然をもつ日本に八百万の神々が生まれ
崇拝されつづけてきたゆえんが、そこにある。
 
 寺田寅彦は日本人の自然観を論じつつ、ほとんど日本人の宗教観の根底を見通してい
たといっていいだろう。「鎮守の森」信仰の本質を見抜いていたといってもいい。なぜ
なら地震や風水の災禍をひんぱんに引きおこす「山」や「川」についてふれ、その「山
」や「川」が同時に「神」でもあり「人」でもあったと語っているからである。地形や
風土の特性を観察しつつ、そこに無常観の日本的類型を見出そうとしているからだ。
 
 「天災は忘れたころにやってくる」という言葉は、科学者としての寺田寅彦が日本の
自然環境を精細に観察点検した結果生みだした、独自の危機管理的な思想だったと思う。
その「天災」によって象徴される日本の自然が、日本人の「国民性」のみならず日本人
の精神性にたいしても甚大な影響を与えてきたということを、かれは早くから精力的に
説いていた。自然にたいする怠りない観察と自然の変化にたいする柔軟な対応、 − そ
れが日本人の科学と精神に特色ある方向性を与えてきた。関東大震災以来のこんどの阪
神大震災に直面して、われわれがまず第一に想起しなければならないのが、このような
寺田寅彦の考え方ではないか、と私は思っているのである。」
と。
 
 それでは、寺田寅彦著『日本人の自然観』の全文をご紹介しましょう。   SYSOP
 
『日本人の自然観』
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