32 玉乃真柱
 
                       参考:吉川弘文館発行「古事類苑」
 
〈玉乃真柱 下〉
 さて天地泉のあるやう、また幽冥の妙なる有様を、なほ委曲に考ふるに、抑天は、上
に次々云へる如く、その萌上れる初より、澄明なる質にて、その国がらの勝れてうるは
しきにや、五柱の別天神、また伊邪那岐命天照大御神を始め奉り、八百万の善き神々の
神留坐て、たまたまも荒ぶる神をば、根国に神遂ひにさすらひ遣りて、善事のかぎりあ
る御国なり、
また泉国は、この国土の重く濁れる其底に成れる国なれば、なほ殊に重く濁れる物の凝
て成れること知るべく、かかる謂によりてか、師翁のいはれし如く、万の禍事悪事の行
留る国なり、
故其処には、千剣破神の神留坐すべき国なることも、固より然る謂あることなるべし、
また此国土は、天の澄明なると、底国の重く濁れるとが分去りて、中間に残在る物の凝
成れるなれば、澄める物の萌上れるなごりと、濁れる物の下に凝れるそのなごりとが、
相混りて成れるなる故、天の善と、根国の悪きとを相兼ぬるべき謂の灼然なり、
 
さてかくの如く、天地泉と三つに分り竟て後も、天と地とは神々の往来したまへる事実
の多在ども、地と泉とは大国主神の往て還坐しゝ後は,神々の現身ながらは更にもいは
ず、その御霊さへに往来したりし事実も伝も更に見えざるは、此は伊邪那岐大神の彼国
を甚くにくみおもほす御心に、彼国此国の往還を止め定賜へる御謂に因ることゝ見えて、
いとも畏き御定になむありける、
然るを古くも今も人の死れば、其魂は尽に夜見国に帰といふ説のあるは、あなかしこ伊
邪那岐大神のいみじくもおもほし定賜へる、その神御慮をおもひ奉らず、また大国主神
の幽冥を掌り治し看す、幽契の妙なる謂をも順考へず、いとも忌々しき曲説にて、慨こ
とのかぎりになむ有ける(中略)、
 
なほいはゞ、人魂のすべては、夜見に帰まじき理は、神代の事実によりて知のみならず、
人の生出る所由、また死て後の事実を察ても暁るべきは、まづ人の生出ることは、父母
の賜なれども、その成出る元因は、神の産霊の奇しく妙なる御霊によりて、風と火と水
と土と四種の物をむすび成し賜ひ、それに心魂を幸賦りて、生しめ賜ふことなるを、死
ては水と土とは骸となりて、顕に存在るを見れば、神魂は風と火とに供ひて、放去るこ
とゝ見えたり、
此は風と火とは天に属き、土と水とは地に属べき理の有るによりてなるべし、
然在ばこれも人の神魂のなべては、夜見に帰まじき一の理なり、
然るは神魂はもと産霊神の賦たまへるなれば、その元因をもて云ふときは、天に帰べき
理なればなり、
然れどもおしなべて然在べき、たしかなる事実も古伝もいまだ見あたらず、
さて人死て、神魂と亡骸と二つに別たる上にては、骸は于(三水+于)穢ものゝ限りと
なり、
さて夜見国の物に属く理なれば、その骸に触たる火に于(三水+于)の出来るなり、
また神魂は、骸と分りては、なほ清潔かる謂の有りと見えて、火の于(三水+于)穢を
いみじく忌み、その祭祠を為すにも、于(三水+于)のありては、その享マツリを受ざるな
り、
現に見たる事実に試考へたるも、浄と不浄と、その差別の灼然を、かく于(三水+于)
穢を忌み悪む魂の、その穢の本つ国また于(三水+于)穢の行留る処なる、夜見に帰く
山のいかであらめや(中略)、
 
然在ば亡霊の黄泉国へ帰てふ古説は、かにかくに立がたくなむ、さもあらば此国土の人
の、死てその魂の行方は何処ぞと云ふに、常磐にこの国土に居ること、古伝の趣と、今
の現の事実とを考わたして、明に知らるれども、万葉集の歌にも、
 
 百足らず八十の隈路に手向せば 過去し人にけだし相むかも
 
と詠る如く、此顕明の世に居る人の、たやすくはさし定め云がたきことになむ、
そはいかにと云ふに、遠つ神代に、天神祖命の御定ましゝ大詔命のまにまに、その八十
隈手に隠坐ます、大国主神の治する冥府に帰命まつれば也、
抑その冥府と云ふは、此顕国をおきて別に一処あるにもあらず、直にこの顕国の内、い
づこにも有なれども、幽冥にして現世とは隔り見えず、
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