24a 哲学のすすめ[哲学は個人生活をどう規定するか]
 
〈幸福観の根底にある哲学〉
 
△人は誰でも幸福を求める
 元来人間は誰でも幸福を求めています。現在選び得る行為、選び得る生き方のうちで、
我々は常に我々に対して幸福を与えるようなものを選んでいます。人間が幸福を求める
ものである以上、このことは当然です。
 にもかかわらず人間は、同じような環境・条件であっても、総て同じ生き方をする訳
ではありません。生き方の相違は、その人が何を幸福と考えるか、によって異なります。
人間が常に幸福を求めるものとすれば、人間の生き方の相違は、幸福を何と考えるかに
よって生じてくると思います。
 
△幸福を捨てることさえ幸福を追求することである
 前述のブルーノーなど歴史上有名無名の多くの人たちは、宗教上、自分の信仰を捨て
て生き続けるよりも、信仰のために死ぬと云う生き方を選びました。私は、この人たち
は、信仰を捨てて安楽に生きるより、たとえ殺されても信仰を持ち続けた方が幸福と考
えたのだ、と私は主張したい思います。
 宗教的信仰以外でも、自分の主義主張のために殉じて行くことが、本当の意味での幸
福な生き方を選んでいる、と思います。
 
△ソクラテスの幸福説
 ギリシャの哲人ソクラテス(紀元前470頃〜399)は、道徳とは幸福を得ることを目的
とするものである、と云う幸福主義的道徳観を持っていたと云われています。しかしソ
クラテスが考えていた幸福は、決して快楽と結び付くような卑俗なものではありません
でした。
 ソクラテスは「如何にしてよく生きるか」と云う問題を真剣に探求する真理愛の精神
は、青年達を惑わすものとして、死刑判決を下れ、毒杯を飲んで死にました。彼は道徳
は幸福を与えると考え、道徳的に正しいと信ずる行為を選びました。このことは、幸福
とは決して哲学と無関係でないことが分かります。
 
△哲学が幸福感を規定する
 我々がどのような哲学を持つかによって、我々の幸福観は異なり、惹いて我々の日常
生活の仕方まで異なってきます。
 単に幸福とは快楽であると云う常識的見解によって生きて行くならば、我々は取り返
しのつかない人生を送ってしまうでしょう。我々は幸福が何であるかを真剣に考え、如
何に生きるべきかについて哲学しなければなりません。

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