21 哲学のすすめ[だれでも哲学を持っている]
参考:講談社発行「哲学のすすめ」
著者の岩崎武雄氏はまえがきで「・・・・直接
役に立つもののみが、ほんとうに役に立つも
のというわけではないのです。わたくしは、
この点を十分認識することこそ、将来の日本
の文化というものにとって、もっとも必要な
のではないかと考えています。そしてこの直
接役に立つもの以上にほんとうに役に立つ根
本的なものが、哲学とか思想というものでは
ないかと思うのです・・・・」
本稿は、講談社現代新書『哲学のすすめ』
を参考にさせていただきました。
この悠久たる世界に生きる私共は、夢のあ
る、生き甲斐のある、そして正しく生きるた
めの哲学が生み出されて行くことを念願しま
す。 SYSOP
〈哲学は生きる上の原理〉
△人間は行為しなければならない
人間は生きて行く限り、必ず何か行為をしなければなりません。我々は何も行為しな
いでは一日を過ごすことが出来ません。いや極端に言うならば、一瞬間たりとも、行為
しないではいられないのです。
例えば、「きょう一日、何もしないでブラブラしていた」と云うことも、これは既に
一つの行為なのです。何故なら、その人はブラブラしないで、何か仕事をすることも出
来た筈だからです。ブラブラしていたと云うのは、その人が自ら「何もしない」と云う
行為をしたのだと言わねばなりません。床に臥している大病人ならいざ知らず、人間は
瞬間瞬間に何らかの行為をしているのです。
△人間は自由を持つ
このように人間は常に行為しなければ、生きて行くことが出来ませんが、この際重要
なのは、人間が自らの自由によってその行為を選ばなければならない、と云うことです。
人間は行為を選ぶ自由を持っています。我々は暇さえあれば寝て暮らすことも出来ます。
また寸暇を惜しんで勉強したり、仕事に打ち込んだりすることも出来ます。我々は日常
行っている一つ一つの行為を、全て自らの自由によって決断し、選んでいるのです。
この点におそらく、人間と他の動物との間の本質的な相違があるのです。人間以外の
動物はただ本能によって行動しているだけで、自由によってその行動を選んでいる訳で
はありません。どうして人間だけが、このように行為を自ら選ぶ自由を持っているのか
と云うことは、おそらく最早人間の解き得ない問題であると言わねばならないでしょう。
しかしとにかく、人間が自由を持っており、それによって行為を選択していると云うこ
とは、否定することの出来ない事実であるのです。
△人間は自由の刑に処せられている
私(著者の岩崎氏、以下同じ。)は必ずしも、人間が行為を選択する自由を持ってい
ることが良いことなのだと云う訳ではありません。人間が自由を持っているから、他の
動物に比べて優れているのだと云うのではありません。寧ろ私は、自由を持っていると
云うことこそ、人間の悲しい性サガなのである、思うのです。
人間に自由がなければ、人間はかえって本当に幸福であったかも知れません。誰でも
一生に一度位は青い空を、何の苦労も知らぬげに、自由自在に飛び回っている鳥にても
なってみたいと考えるでしょう。鳥にも外敵は襲うでしょう。餌をあさるのに骨を折る
こともあるでしょう。しかし、本能のままに動いている鳥は、おそらくそのために思い
悩むこともありますまい。ところが、人間は既に自由を持っているのです。どんな人で
も、否応なしに、自分で行為を決定しなければなりません。人生の苦労は全て此処から
生じている、と言えるのです。
しかし、たとえそれが人間にとって不幸であるとしても、人間が自由を持っていると
云うことはどうしようもない事実なのです。我々がこれに対して如何に苦情を言ったと
ころで、どうなるものでもありません。我々はただこの事実を認め、その上に立って行
為する外はありません。
フランスの哲学者サルトルは、「人間は自由の刑に処せられている」と言っています。
正に自由は人間の持って生まれた宿命なのです。人間である限り、我々にはこの宿命か
ら逃れる道はありません。我々はこの宿命を甘受して行く外はありません。
△哲学は必然的に生じてくる
しかし、人間が自らの自由によって行為を選ばなければならないとすれば、其処に我
々はどうしても自分の行為を選ぶための原理を考えない訳にはいきません。寧ろ我々は
行為を選ぶ場合、必ず何らかの原理を持ち、それに従って行為を選んでいるのです。
暇さえあれば寝て暮らして少しも悔いを感じない人は、そう云う生き方が良いのだと
云う考え方によって、その行為を選んでいるのです。また自分の利益ばかり考えて、他
人のことを少しも思い遣らずに行為している人は、自分の利益だけを図れば良いのだと
云う考え方の上に立って、行為をしているのです。
こうして人間は、自由によって行為している以上、どうしても行為を選びその生き方
を決定する根本的な考え方を持たない訳にはいかないのですが、この考え方がいわゆる
人生観乃至世界観です。そしてこの人生観・世界観が即ち哲学に外なりません。
△哲学は最も身近なもの
もしこう言えるとするならば、哲学は、人間である限りどんな人でも必ず持っている
ものであると思います。人間は哲学なくしては、どうしても生きて行くことが出来ない
のです。行為を選ぶ自由の存するところ、哲学は自ずから生じて来ない訳にはいきませ
ん。自由と哲学は離れ難く結び付いているのです。自由と云うものが人間に与えられて
いる宿命であるとすれば、哲学もまた人間に負わされている宿命なのです。
この意味で、哲学は我々にとって縁遠いものであるどころか、最も身近なものです。
我々の生活に無関係であるどころか、寧ろ生活と密接に結び付いているものです。それ
は我々の生活の根底にあり、生活を規定するものであるのです。どんな人でも、その人
の人生観・哲学によってその生活をしているのです。
無論我々は必ずしも自分哲学を意識しているとは限りません。いや寧ろ我々は多くの
場合、哲学を意識しないで生活しているのです。
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