51菊紋
 
                      参考:小学館発行「万有百科大事典」
 
「菊紋」
 平安時代や鎌倉時代の衣服や調度の文様に菊花は好んで用いられた。後鳥羽天皇
(1180〜1239)は取り分け菊を愛し、衣服、車、輿コシ、刀などにその文様を飾り、それ
を後の天皇方が踏襲したところから、皇室の紋章として使われるようになったと云う。
足利尊氏は恩賞として菊紋を後醍醐天皇から下賜されたと伝えられ、功績に対する菊紋
下賜は近世初期まで行われていた。豊臣秀吉もこの紋を許されており、それがまた秀吉
から一族や前田、伊達などの有力大名に与えられた。この頃には、菊紋を勝手に使用す
る傾向が強くなったので、その権威を守るため、前後2回に亘って禁制が出された。
 徳川家康には慶長十六年(1611)に後陽成天皇から菊紋下賜が伝えられたが家康はこ
れを辞退し、この後菊紋下賜は見られなくなった。しかし、役者の紋や町家の商標など
に菊花は乱用され、明治維新までその権威は失われていた。
 慶応四年(1868)三月二十八日の太政官布告(195号)による菊紋の使用禁止令を最初
として、その後数回の菊紋取締令が出された。皇室の紋章として「十六葉八重表菊」、
皇族のそれとして「十四葉一重菊」が明示されたのは、大正十五年(1926)十月二十一
日「皇室儀制令」においてであった。
皇室紋章の手本とされる一文字菊
縮小画像
前画面へ戻る
[次へ進む] [バック]