81 歴代天皇
 
 81 安徳アントク天皇
 
 平安末期の天皇(在位1180〜1185)。高倉天皇の第一皇子。母は建礼門院平徳子。名
は言仁トキヒト。源平の戦に平宗盛に擁せられ、西国に赴く。平家一族と共に壇ノ浦に入水。
(1178〜1185)
 養和ヨウワ 皇紀1841 AD1181
 寿永ジュエイ 皇紀1842 AD1182
(閏)元暦ゲンリャク 皇紀1844 AD1184
 
〔神皇正統記〕 第八十一代、安徳天皇。諱は言仁トキヒト、高倉第一の子。御母中宮平徳
子トクコ(建礼ケンレイ門院と申)、太政大臣清盛女也。庚子の年即位、辛丑に改元。法皇猶世
をしらせ給。平氏はいよいよおごりをなし、諸国はすでにみだれぬ。都をさへうつすべ
しとて摂津国福原とて清盛すむ所のありしに行幸せさせ申ける。法皇・上皇もおなじくう
つしたてまつる。人の恨おほくきこえければにやかへし奉る。いくほどなく、清盛かく
れて次男宗盛ムネモリ其あとをつぎぬ。世の乱ミダレをもかへりみず、内大臣に任ず。天性父
にも兄にもをよばざりけるにや、威望もいつしかおとろへ、東国の軍すでにこはく成て、
平氏の軍所々にて利をうしなひけるとぞ。法皇忍て比叡山にのぼらせ給。平氏力をおと
し、主上をすゝめ申て西海サイカイに没落す。中三とせばかりありて、平氏ことごとく滅亡。
清盛が後室コウシツ従二位平時子トキコと云し人此君をいだき奉りて、神璽をふところにし、宝
剣をこしにさしはさみ、海中にいりぬ。あさましかりし乱世なり。
 天下を治給こと三年。八歳おましましき。遺詔ユイゼウのさたなければ、天皇と称し申な
り。
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