26 歴代天皇
 
 26 継体ケイタイ天皇
 
 6世紀前半の天皇。彦主人王ヒコウシノオオキミの第一王子。応神天皇の五代の孫と云う。名は
男大迹オオド。
 皇紀1167 AD 507
 
〔神皇正統記〕 第二十七代、第二十世、継体天皇は応神五世の御孫也。皇子第八ノ御子
隼総別ハヤブサワケの皇子、其子大迹オホトの王、其子私斐シヒの王、其子彦主人ヒコヌシの王、其子
男大迹ヲホトの王と申は此天皇にまします。御母振姫フルヒメ、垂仁七世の御孫なり。越前国に
ましける。武烈かくれ給て皇胤クワウインたえにしかば、群臣うれへなげきて国々にめぐり、
ちかき皇胤を求奉けるは、此天皇王者ワウシャの大度タイドまして、潜竜センリョウのいきほひ、世
に聞え給けるにや。群臣相議ハカラヒて迎たてまつる。三たびまで謙譲し給けれど、つゐに
位に即ツキ給ふ。ことし丁亥ヒノトイの年也(武烈かくれ給て後、二年位をむなしくす)。大
和の磐余イハレノ玉穂タマホの宮にまします。仁賢の御女手白香タシラカの皇女を皇后とす。
 
 即位し給しより誠に賢王ケンワウにましましき。応神御子をほく聞え給しに、仁徳賢王に
てましまししかど、御ミすゑたえにき。隼総別の御すゑ、かく世をたもたせ給こと、いか
なる故にかおぼつかなし。仁徳をば大鷦鷯オホサザキの尊と申。第八の皇子をば隼総別と申。
仁徳の御代に兄弟たはぶれて、鷦鷯は小鳥也、隼ハヤブサは大鳥也と争給こともありき。隼
の名にかちて、末の世をうけつぎ給けるにや。もろこしにもかゝるためしあり(左伝に
みゆ)。名をつくることもつゝしみをもくすべきことにや。それもをのづから天命テンメイ
なりといはば、凡慮の及べきにあらず。此天皇の立給しことぞ思外オモヒノホカの御運とみえ
侍る。但、皇胤たえぬべかりし時、群臣択求エラビモトメ奉き。賢名ケンメイによりて天位を伝給
へり。天照太神の御本意にこそと見えたり。皇統に其人ましまさむ時は、賢カシコキ諸王お
はすとも、争イカデか望ノゾミをなし給べき。皇胤たえ給にとりては、賢にて天日嗣アマツヒツギ
にそなはり給はむこと、即スナハチ又天のゆるす所也。此天皇をば我国中興チュウコウの祖宗ソソウ
と仰ぎたてまつるべきにや。
 
 天下を治給こと二十五年。八十歳おましましき。
 
 27 安閑アンカン天皇
 
 6世紀前半の天皇。名は勾大兄マガリノオオイネ、また広国押武金日ヒロクニオシタケカナヒ。継体天皇の
第一皇子。
 皇紀1191 AD 531
 
〔神皇正統記〕 第二十八代、安閑天皇は継体の太子。御母は目子姫メコヒメ、尾張の草香
クサカの連ムラジの女也。甲寅キノエトラノ年即位。大和の勾金橋マガリノカナハシの宮にまします。
 天下を治給こと二年。七十歳おましましき。
 
 28 宣化センカ天皇
 
 6世紀前半の天皇。継体天皇の第三皇子。名は武小広国押盾タケオヒロクニオシタテ。
 皇紀1195 AD 535
 
〔神皇正統記〕 第二十九代、宣化天皇は継体第二の子、安閑同母の弟也。丙辰ヒノエタツの
年即位。大和の檜隅ヒノクマノ廬入野イホリノの宮にまします。
 天下を治給こと四年。七十歳おましましき
 
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