01 歴代天皇
01 神武ジンム天皇
名は神日本磐余彦カンヤマトイワレビコ。伝承では、高天原タカマノハラから降臨した瓊瓊杵尊ニニギノ
ミコトの曾孫。日子波限建鵜草葺不合尊ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコトの第四子で、母は玉依姫。
日向国の高千穂宮を出、瀬戸内海を経て紀伊国に上陸、長髄彦ナガスネゴコらを平定して、
辛酉の年(前660年)大和国畝傍の橿原宮カシハラノミヤで即位したと云う。日本書紀の紀年に
従って、明治以降この年を紀元元年(皇紀)とした。畝傍山東北陵ウネビヤマノウシトラノスミノミササ
ギはその陵墓とする。
皇紀 1 BC 659
〔神皇正統記〕 人皇第一代、神日本カムヤマト磐余彦イハレヒコノ天皇スメラミコトと申す。地神チジン盧
(盧偏+鳥)茲(茲偏+鳥)草葺不合ウガヤフキアヘズノ尊の第四の子。御母玉依姫、海神小童
ワタツミノ第二ノ女ムスメ也。伊弉諾尊には六世、大日靈(靈の巫の代わりに女。以下「靈」と記
す)オホヒルメの尊には五世の天孫にまします。神日本磐余彦と申は神代よりのやまとことば
也。神武は中古となりて、もろこしの詞コトバによりてさだめたてまつる御名なり。又此
御代より代ごとに宮所ミヤドコロをうつされしかば、其所を名づけて御名とす。此天皇をば
橿原の宮と申、是也。
又神代より至て尊タフトキを尊ミコトと云、其次を命ミコトと云。人の代となりては天皇スメラミコト
とも号したてまつる。臣下にも朝臣アソム・宿禰スクネ・臣オミなどといふ号いできにけり。神武
の御時よりはじまれる事なり。上古ジャウコには尊とも命とも兼て称ショウシけると見えたり。
世くだりては天皇テンワウを尊と申ことも見えず、臣シンを命と云事もなし。古語の耳なれず
なれる故にや。此天皇御年十五にて太子に立、五十一にて父チチノ神にかはりて皇位にはつ
かしめ給。ことし辛酉カノトトリなり。筑紫ノ日向の宮崎の宮におはしましけるが、兄コノカミの
神達をよび皇子群臣に勅ミコトノリして、東征トウセイのことあり。此大八州オホヤシマは皆是王地也。
神代幽昧ユウマイなりしによりて西偏ニシノホトリの国にして、おほくの年序ネンジョををくられける
にこそ。
天皇舟楫(楫+戈)シウシフをとゝのへ、甲兵カフヘイをあつめて、大日本洲にむかひ給。み
ちのついでの国々をたいらげ、大やまとにいりまさむとせしに、其国に天の神饒ニギの速
日ハヤヒの尊の御すゑ宇麻志間見ウマシマミの命と云神あり。外舅ハハカタノヲヂの長髄彦ナガスネヒコとい
ふ、「天神アマツカミの御子両種有アラんや。」とて、軍イクサをおこしてふせぎたてまつる。其
軍こはくして皇軍ミイクサしばしば利をうしなふ。又邪神アシキカミ毒気ドクキをはきしかば、士卒
シソツみなやみふせり。こゝに天照太神、健甕槌タケミカヅチの神をめして、「葦原の中つ洲クニ
にさはぐをとす。汝ゆきてたいらげよ。」とみことのりし給。健甕槌の神申給けるは、
「昔国をたいらげし時ノ剣あり。かれをくださば、自オノヅカらたいらぎなむ。」と申て、
紀伊ノ国名草ナグサの村に高倉下タカクラジノ命と云神にしめして、此剣をたてまつりければ、
天皇悦ヨロコビ給て、士卒のやみふせりけるもみなをきぬ。又神魂カミムスビの命の孫、武津之
身タケツノミノ命大烏となりて軍の御さきにつかふまつる。天皇ほめて八咫烏ヤタカラスと号し給
ぬ。金色コンジキの鴟トビくだりて皇弓ミユミのはずにゐたり。其光てりかゝやけり。これによ
りて皇軍大オホキにかちぬ。宇麻志間見の命其舅ヲヂのひがめる心をしりて、たばかりてこ
ろしつ。その軍をひきゐてしたがひ申にけり。天皇はなはだほめましまして、天よりく
だれる神剣をさづけ、「其大勲ダイクンにこたふ。」とぞのたまはせける。此剣を豊布都
トヨフツの神と号す。はじめは大和の石上イソノカミにましましき。後には常陸の鹿島の神宮にま
します。
彼カノ宇麻志間見の命又饒速日ニギハヤヒの尊天降アマクダリし時、外祖グワイソ高皇産霊
タカミムスビの尊さづけ給し十種トクサの瑞宝ミヅタカラを伝ツタヘもたりけるを天皇に奉る。天皇鎮魂
ミタマシヅメの瑞宝也しかば、其祭を始られにき。此宝をも即スナハチ宇麻志間見にあづけ給て、
大和ノ石上に安置す。又は布瑠フルと号ガウス。此瑞宝を一ヒトツづつよびて、呪文をして、ふ
る事あるによれるなるべし。
かくて天下たいらぎにしかば、大和ノ国橿原に都をさだめて、宮つくりす。其制度天上
の儀のごとし。天照太神より伝給へる三種の神器を大殿ミアラカに安置し、床ユカを同くしま
します。皇宮・神宮一ヒトツなりしかば、国々の御ミつき物をも斎蔵イミクラにおさめて官物
クワンモツ・神物ジンモツのわきだめなかりき。天児屋根アメノコヤネノ命の孫天種子アメノタネコの命、天太
玉アメノフトタマの命ノ孫天富アメノトミの命もはら神事シンジをつかさどる。神代の例タメシにことなら
ず。又霊畤マツリノニハを鳥見山トミノヤマの中にたてて、天神アマツカミ・地祇クニツカミをまつらしめ給。
此御代の始、辛酉カノトトリの年、もろこしの周シウの世、第十七代にあたる君、恵王ケイワウの
十七年也。五十七年丁巳ヒノトミは周の二十一代の君、定王の三年にあたれり。ことし老子
ラウシ誕生す。是は道教の祖也。天竺の釈迦如来入滅し給しより元年辛酉までは二百九十年
になれるか。
此天皇天下を治給こと七十六年。一百二十七歳をはしき。
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