神様の戸籍調べ
三十 天若日子アメワカヒコの物語
戸籍抄本
本籍地 高天原
寄留地 出雲国杵築小浜
高天原特命全権公使戸主 天若日子
御妻 下照比売 大国主ノ女
実父 天津国玉命
右原本古事記と照合して確実也
神代村戸籍吏 稗田阿礼 印
此天若日子命は、先づ日本の神代に於て、女の為にその使命を忘れた第一番の忘恩不
忠の方であるのみならず、天の名鳴女ナナキメと云ふものを殺害したる不敵の漢ヲトコであるこ
とが解った。その訳は、稗田阿礼ヒエダノアレ氏の記録によって、明かに朱書してあるから茲
に述べて見よう。
わが国は、伊邪那岐イザナギ伊邪那美イザナミの両神の御作りなされた国であって、その御
子孫の治めなさるべきことは言ふ迄もないが、高天原に於て、天照大御神は更に、御子
押穂耳命オシホミミノミコトに神勅を下されて、
「日本国は、我が子孫の支配すべきで、この事は天地と共に限りないことであるぞ」
と御定めになった。そこで押穂耳命は、高天原タカマガハラから日本に御降臨になることにな
って、先づ御家来をして、日本の状況を調べることになさったが、誰がよからうと相談
の結果、思金神オモヒカネノカミの発議で、天菩比神アメノホヒノカミを御下しになったが、此方は三年
も経ても、帰って来ないので、更に第二の使者である特命全権公使を撰定することにな
り、天若比子命アメワカヒコノミコトがその任に当ることとなり、無限の光栄に喜び勇むだ天若比
子は、大御神の前に召されて、
「此度の任務は重且つ大なり、汝は宜しく粉骨砕身してその任を完くせよ。若し天孫
降臨に反するが如き悪る者あらば討て」
と天麻迦古弓アメノマカゴユミ、並に天波波矢アメノハバヤを下賜せられた。
此重大なる任務と、栄誉ある使命に浴した天若日子は、勇みに勇みて日本に降ったが、
方々の荒神共を退治して遂に、その頃日本で一番勢力のあった大国主命オホクニヌシノミコトの処
迄ゆくと、変って終った。勇略他に優れた天若日子は、大国主命の勢力とその外交的政
略に、豹変して猫の如き柔順なるものとなった。即ち大国主命の御女オムスメ下照姫シタテルヒメ
と結婚して、杵築キヅキの小浜で住ひ、八年も無事に暮らしてゐるとは知らぬ高天原では、
尤体なくも大御神を始め奉り高御産巣日神タカミムスビノカミ、八百万神々は、神集カンツドひまし
まして、評議をなされ、天若日子の流淹リウエン帰へるなき所由ユエを問はせようと、遂に雉
名鳴女キギシナナキメと云ふ者に御勅命が下った。
雉名鳴女は、早速この大任を承って、出雲に飛んで行って見ると驚いた。
天若日子は下照姫と夫婦になって、下女など沢山使って治り返ってゐる始末に、その
庭前の楓カヘデの樹の上から声張り上げ、
「天若日子よ、汝この日本に特派せられたるは、全くこの日本の悪き神々を退治して、
国土を鎮め、天孫降臨の先駆となるのであったのに、何故なれば八年も御返事申し上げ
ないか」
い、細々、天つ神々の詔ミコトノリを言ってゐると、天佐具売アメサグメと云ふ天若日子の女中が
聞伝へて、その意味が解らないから、天若日子に、
「あの声は実に悪い声で鳴いてゐるから、射殺ろして下さい」
と云ひ進めたので、天若日子は、元よりその言葉は解ってゐるけれど、わざと素知らぬ
顔をして、
「そうか、成程、厭な鳴声だね、殺ろしてやらう」
と、直に弓矢、それは大御神が悪き神を鎮めよとて賜ひしを以て、今は、大御神の御使
を射むとて、的を定めて放てば、高天原の勇士は誤らう筈はない。ぐさりと雉名鳴女キギ
シナナキメの胸板を射透して、バッタリ落る彼女と、反対にビュウと矢は飛び上がって、天の
安河原に及び、大御神と、高御産日神タカミムスビノカミの膝の処に飛んで来た。是を眺めて天
津神は、
「是は、天若日子が持って往った矢であるぞ。ありゃ不思議や審イブカしや、羽に血の
つけるは・・・・・・そうじゃ、若し此矢が悪者を射たる血に染みしものとせばよし、若し天
若日子が悪しき心もて射て血ぬりしたとせば、この矢は帰りて天若日子に当れっ!」
とて、その矢の来た穴から、衝返されると、罰は恐ろしいもので、天若日子が寝てゐる
胸に中って死むで終った。
天若日子の妻である下照比売は、此不意の出来事に唯泣ばかり。その声が遂に、大に
ひゞいたので、どうしたことかと待つ身の親心、天若日子が往ってから便なき事故、寂
しき心で老の身を、待ちわびてゐられた父天津国玉アマツノクニタマの神は、天若日子の死を知
って、天若日子が高天原に居た頃の妻や子と共に出雲に降りて来て、葬式の準備をした。
先づ喪屋モヤを建て、これに天若日子の屍骸を置き、雁がその屍骸を起して持ってゐる
と云ふ役目、鷺が魂タマ呼びする掃除役、翡翠カハセミが供へものの料理人、雀は御洗米する
役、それから雉は哭女ナゲキメと云ふ役をするなど、それぞれに役目を定めて、八日八夜は
神祭をして、天若日子の霊を慰める。その中に天若日子と知友は、流石に忘恩の天若日
子であるが、友の情は又別にて、方々から弔慰に来る。妻や父などは、亡き子夫の友を
見るにつけ、ありし日のことを、繰返して悲ナゲき泣く。丁度高日子根神タカヒコネノカミが来
て、弔はれると、よく天若日子に酷似コクジしてゐるので、天若日子が来たものと、その
手をとり足をとりて、哭き喜び、「吾子は死せじ」「吾がつまは死せじ」と右より左よ
り袖にすがるので、高日子根神も驚くやら腹が立つやらで、
「何だ、私は友の死を弔に来たばかりだのに、縁起でもない、死人扱になるなんぞは
怪しからぬ」
と、剣をぬいて喪屋を切り破って高天原に帰って終はれた。
失望と落胆とに悲む遺族の人々の有様を気の毒に思って、高日子根神の姉である伊呂
妹高姫イロトタカヒメが夷振ヒナブリの歌で大に慰められた。即ち、この高遅鋤(金+且)高日子
根神タカヂスキタカヒコネノカミは、大国主オホクニヌシの神の御子で、母親は多紀理比売命タキリヒメノミコトであ
るとあるから、天若日子アメワカヒコとは義理の兄弟の間柄である。
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