神様の戸籍調べ
 
二十四 誉津別命ホンヅワケノミコトと其母妃ハハキサキ
 
 崇神天皇ノ第二ノ皇子人皇第十一代     垂仁スイニン天皇
 
 日子坐王ノ女    御皇后        沙本姫サホヒメ
          御子         誉津別命
 長穂ノ駅長ノ女   御妻         肥長姫
 
 此の物語の中心となさる方は、即ち垂仁天皇の第一王子である誉津別命と其の母后で
あらせられる沙本姫とで、その間に起った悲しい物語を色彩上から、沢山の方々、即ち
沙本姫の兄様である沙本彦王サホヒコワウや、暁立王アケタツワウや肥長姫ヒナガヒメなどが此の譚の中
に登場せらるるが、先づ談の順序として、沙本姫の戸籍調べをなし奉ると、日子坐王ヒコ
イマスノミコの御子で、御母様は沙本之大闇見戸売サホノオホクラミトメと云ひ、姫は一名佐渡遅姫サハヂ
ヒメとも申して美人でゐらせられ、且つ御心も優しかったので、垂仁天皇の二年二月に立
后リッコウの式を挙げさせられた。御夫妻の仲は悪るからう筈はなく、間もなく御懐妊とな
ったが、さて月には雲、花には嵐、実に世の中は侭ならぬものであって、この沙本姫皇
后の御兄様に沙本彦サホヒコと云ふ、頗る心よからぬ方があって、ある時参内の砌ミギリ、陛
下は御出遊の後で、潜ヒソカに皇后に向ひ、
 「女の心持は解らないものであるが、一体女としては、夫が可愛のか、それとも又真
の兄が可愛のか」
と何気なく問はれて、元より深き謀タクミのあると知り給はねば、つい兄から問ふたその目
の前で、夫が大事とも言へず、
 「それは兄は親身で大事じゃありませんか」
と仰せになると、沙本彦王は得たりと、かかる言葉を待ってゐられたから、この言葉尻
を猟トラえて、
 「そうじゃらふね、成程、兄上の言ふこなら何でも聞くのか」
 「言ふまでもありません。兄上の事だから聴きます」
と御答になったが誤り、沙本彦王は、
 「では言はう、色恋で一緒になったものは、一度色恋いが醒めれば、寵愛の衰へるは
必然のことであるが、兄弟は切っても切れぬ仲じゃ。そこで、真に兄を愛して呉れるな
ら、この短刀を渡しておくから、一思に天皇を弑して呉れ、そうすれば親身の兄妹で天
下を治めて、栄誉に暮らしてゆけやうものた」
と、言葉を極めて悪謀を皇后に迫られたので、優しい皇后は其不心得を諌めになったが、
沙本彦は聴かず、若し皇后の聴き給はずば何をなすか解らないと云ふ様子に、皇后は非
常に御困りになった。是非なく、兄の強シいてと云ふ必死の有様に辞コトハり兼ねて御承ウケ
になったが、元より天皇はかゝる事のあらうとは御存知ない。
 
 五年十月来目高宮クルメタカミヤに天皇が御行啓になった折、皇后の御膝を枕にして御睡りに
なった。皇后は兄の命もあって今この時ぞと思し召して、兼ての短刀を抽ヌきて天皇を刺
さうと御思ひになったが、過ぎこし方など思ひ給ふのみか、一天万乗の大君を弑シイする
ことの尤体モッタイなさに、今ぞ今ぞと機に迫り、それっと短刀を御頚にさしつけながらも、
遂に得刺し給はず、かくてはならじと又気を鬼にして刺さんとし給ふこと三度、遂に堪
りかねて、ハフリ落つる涙堰も敢へず、ハラハラと思はず拭くに暇なくて、龍顔リウガンに
かかった折しも、天皇は御目覚になって物におびえたやうに、
 「あゝ今実に怪しい夢を見たよ、沙本サホの方から、急に暴風雨が降って来て,サッと
私の顔を濡らすばかりか、錦色キンジキをした蛇が頚に繞マツハりついて、苦しくて仕様のな
いと云ふのだったが、一体何の兆だらうかね、夢は五臓の労ツカレなどと云ふが厭な夢で気
持ちがわるい」
と御仰せになると、皇后は非常に恐れ入りなされ、涕泣ナキながら、兄にせめられて云々
と有し次第を御物語になり、そして更に、
 「この兄の謀計ハカリゴトを御奏問すると、肉の兄が亡されねばなりませぬ、若し兄を愛
してこの事を申し上げねば、陛下の御危難で国家が危いのであります、あれやこれやと
思ひつめて、つい泣きましたので、涙が御龍顔を汚して恐れ入ります」
と御仰せになったので、天皇は大に驚かれ、早速近衛の軍隊をして八綱田ヤツナダと云ふ大
将の下に引率させて、沙本彦王サホヒコワウの本城、稲城イナギの城に征めさせられたが、早く
も事の曝露を知った沙本彦は、稲城の城を堅く堅く構へて、逆木サカモギ鉄条網、等なかな
か皇軍の征めることも一通りの困難でなかった。
 
 既にして沙本姫皇后は、御自身の口から漏たばかりに、兄の企謀キバウも曝バれて今目
の前に征め滅さるる軍の有様を見ては、流石女気の少なき胸には一方ならぬ御苦みがあ
った末、兄への義理立て、天皇への申訳けに自分で腹を極めて、そっと宮中から脱れ給
ひて、兄の城に御入りになった。此時沙本姫は御懐妊であらせられたが、軍事蒼惶ソウコウ
の中に、御産気づきなされて、立派な男子を御産になったが、この尊き皇子を、やがて
死ぬ吾手に育てて万一のことありてはならじと、柵外に御出し申して、
 「天皇の御子と思し召すならば、御受取って慈育し給へ」
と叫びなされたので、天皇は、
 「それ者共、皇子も皇后も一緒に取って参ゐれ、決してぬかるな」
と、御夫妻の御情愛とて、此侭に皇后を稲城に還さば、必ず落城と共に御薨去になるこ
とと、憫アハれに思し召したのであった。然し、一度死を決し給へる皇后は、同じ心の天
皇の御情けのかくあらんを知って、若し生きて捕はれなば義理が立ぬと思して、衣を腐
らして、武士が衣の袖を握ればツルリと脱げるやうにし、又髪を把えたならばその時の
用意にと、髪を切っておいて、頭に鬘カツラの様にしてのせておいてから、皇子を抱いて柵
外に出られると、待ってゐた皇軍の受取の侍サムライ共は、皇子をうけとると共に、皇后を
も捕へ奉らうとすると衣がツルリ脱げる、御髪を捕へると、スッポリ抜けて、その間に
皇后は身を翻して城に駆け込むで御終になった。
 残念と思し召す天皇は、仕方がないから、使を出して、皇子の御名を何とすべきぞと
御問ひになると、
 「誉津別命ホンヅワケノミコトと名づけて下さい、そして、天皇には丹波道主王タンバミチヌシノワウの
女兄ジョエ姫弟姫ヒメオトヒメの二人は心がやさしいものでありますから是等を妃にして下さる
やうに」
と言って、城に火をかけ、兄沙本彦王と共に営中に崩御になった。
 
 誉津別命は、かくして母の温き懐からして永久に別れられて、独り乳房を尋ねて御泣
になることも多かった、それにつけても、御父帝ミカドの御寵愛はまして不憫の情にから
れ給ひ、男手の届く限りを尽して御可愛がりになる。或時は尾張国から奉った二俣杉の
大木を、その侭舟に作って軽の池に浮べて、誉津別命を乗せ、魚漁スナドリ、舟遊フナコギな
どして御遊び申したり、世の中の国々から集めた色々のおもちゃをもって御紀元をとっ
たりして、母のない寂しい命ミコトを愛されたが、不思議にも此命は、御言葉が出ない、ち
っとも御口が利キけない、七ツ八ツは未だ未だと御望はあったものの、遂に立派な御年頃
にならせられ、さては髯が生へて胸に垂れるやうになっても、少しも声さへ出ないと云
ふ不仕合せに、特別に可愛い親心に、天皇は非常なる御心配であった。その後沢山の御
子様は出来たが、この方が御長男ではあらせらるるし、まして母のない御皇子とて、天
皇を始め臣下のもの迄も一方ならぬ苦労をして、何卒ドウゾして御口の利キケるやうにと祈
って見たが、更に甲斐のあり様も見えなかった。
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