神様の戸籍調べ
 
十八 五瀬命イツセノミコト
 
 御本籍        日向国高千穂峯
 現住所        紀伊国海草郡三田村竃山カマドヤマ神社
             五瀬命
      御父      鵜葺葺不合命
      御母      玉依姫命
      御弟      神武天皇
 
 五瀬命イツセノミコトは、又彦五瀬命とも申し上げて、実に人皇第一代神武天皇の御兄君に当
らせられる。
 初め日向高千穂の宮に御出になったが、その辺地なるを以て愈々御東征と決定し、命
ミコトは天皇と共に軍勢を率ゐ摂津から河内に入り、大和に進みなさると、そこに長髄彦
ナガスネヒコが饒速日命ニギハヤヒノミコトに奉じ、久舎衛阪クサエザカの天険を頼みて頑強に抵抗したの
で皇軍は非常なる苦戦に陥った。
 此時五瀬命は大に奮ひ立ち給ひて、勇猛なる獅子奮迅シシフンジンをなされたが、折あしく
流矢が御腕に当ったけれど、命は自らこの矢を抜きすてて御奮闘なされたが大樹の倒る
るや一本のよく支ふる所にあらずで、利は味方になく退却することになった。命、大に
口惜がり給ひたが仕方がない。それから南走して紀州に出られた。その時命ミコトは、
 「日の神の子孫が日に向って戦ふは不祥なり、今より日を背おって戦はざるべからず」
と仰せになった。既にして血沼海チヌノウミ即ち摂津の沖で御手の血を洗ひ落し御加養になっ
たが、遂に、紀伊国男水門ヲミナトの竃山カマドヤマに於て、矢傷から破風疾ハフウシツを発し給ひ
て、敢なく南風と共に薨カウじ給ひしも実におしき極みである。今竃山神社として其英霊
を祭るも悲し。
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