神様の戸籍調べ
八 事代主命コトシロヌシノミコト
事代主命の戸籍抄本
御原籍地 出雲国八束郡美保関村美保神社
海事の神 事代主命
須佐之男命ノ子 御父 大国主神
御母 神屋楯姫命
溝クヒ耳ノ命ノ女 御妃 活玉依姫ノ命 亦名三島之溝クヒ姫
大山祇ノ神ノ女 御后 伊古奈姫ノ命
御子 天之八現津彦命 母活玉依姫
綏靖天皇ノ后
安寧天皇ノ母 御女 五十鈴依媛 母同上
神武天皇ノ后 同 媛踏鞴五十鈴姫 母同上
右日本書紀に照合して確実也。
戸籍吏 太安麻侶 印
普通此神は狩衣を著けて、ニコニコ顔しながら、釣竿を右に持ち大鯛を左に抱えてゐ
られる。
「何故、此神は釣竿や大鯛を抱えてゐられるであらう」
と言へば、この戸籍抄本の示すとおり、此神様は、大国主命オホクニヌシノミコトの御子様で、沢
山ある中で、一番偉いお方であったので、大国主神様が大分御老年になられたので、父
神の代理をして出雲朝廷に君臨なされ、日本を治めてゐられた。すると元来日本は、伊
邪那岐伊邪那美二柱の神様が御生になった国であるから、御正統なる天孫の御治めにな
るのが至当であるからとて、大国主命も、天照大御神の御弟須佐之男命の御子であるか
ら、傍系ながら、尊い血統ではあるが、然し、天照大御神は、正しき御自分の御子孫に
治めさせるのが日本の為であると思し召して、天孫を下さんと、始め御子の忍穏耳命ヲシ
ノホミミノミコトに降臨治国を下命になったとき、日本は非常に方々に悪神が居て騒々しいので、
三人の神を第一第二と派遣なされたが最初二人は、大国主命に閉口して使命を全くしな
かったので、最後に建御雷神タケミカヅチノカミを正使とし、天鳥海神アメノトリフネノカミを副使として、
出雲に到らしめ給ふと、勇猛無比なる建御雷は、浪間に宝剣を逆様に立て、その上に飛
上りて談判を開始し、そして諄々と雄弁を振るって国土献上の議をすゝめられた。する
と、大国主命は、成程と御承知になって、種々なる交換条件を呈して御承知にならうと
したが、今は大部分の政治を御子、事代主命に任せてゐるから、いくら親でも一存で相
談もなく承りかね、事代主命に相談にならうと、従者をして事代主命を呼ばせられたが、
一向姿が見えぬ、段々索ねて見ると、漁の好きな事代主命は美保の御崎に釣を垂れてゐ
られたので、天使はその臣である稲脊脛イナセハギと云ふ男を熊野の諸手船モロテブネに乗じて、
稲佐浜イナサハマより美保関に急航せしめ、事の由を告げさせられた。
元より、温順にして正邪判別の分明なる事代主命であるから、天の使者建御雷等の申
条を詳さに承って、成程と承知して、父大国主命に向った。
「此国土は須く天孫に献上なさるがよろしからう」
と言って、大義名分の根本に判決を与へ、大国主命をして決断をなさしめられたのであ
った。そこで大国主命は、他の御子達の中では、いろいろ言ふ方もあったが遂に心を決
して国土を献上して、田岐志タギシの小浜コバマに退隠せられた。そして事代主命もまた退
隠せられた。即ち世の像カタチにある事代主命の夷エビスさんの竿を持ち鯛を抱えてゐられる
のは、実にこの美保関に於て、釣をなされてゐる時のことを表はしたのである。
事代主命はそれから、海事に従事して、好きな漁などに遊んでゐられたがある時、御
自分で八重蒼染籬ヤヘアヲシバガキを作って船だなを踏むで御隠になったが、八尋鰐ヤヒロノワニに
なって、溝くひ耳命ミゾクヒミミノミコトの御女、活玉依姫イクタマヨリヒメと御結婚なされ、五十鈴依姫
イスズヨリヒメと媛蹈鞴五十鈴姫ヒメタタライスズヒメとの二人の御姫を生みなされたが、御姉の媛蹈鞴
五十鈴姫は、人皇第一代神武天皇の皇后様となられ、御妹の五十鈴依姫は人皇第二代綏
靖スイゼイ天皇の皇后とならせられた。
事代主命は単に夷さんで通ずるが、その外に沢山の御名がある。即ち詳しくは八重事
代主命ヤヘコトシロヌシノミコトであってその他に葛城一言主神カツラギヒトコトヌシノカミ、積羽八重事代主神
ツミハヤヘコトシロヌシノカミ、又は玉籤入彦厳事代主神タマクシイリヒコイハコトシロヌシノカミとも云って、事代主と云
ふ事は、言誓コトシルシにて、天孫に国土献上のしるしとして、言葉計りでなく、身は八重の
汐路に御隠れになって、天孫に誓詞のしるしとせられたから事代主と尊めるのであると
云ふ説(平田篤胤)がある。
この命を葛城一言主神カツラギヒトコトヌシノカミと申すには、面白い神話がある。
雄略ユウリャク天皇は非常に英明文武の天子様で、そして又狩が好でゐらせられた。葛城山
カツラギヤマに度々大狩を催して、或る時なぞは、大きな猪シシが飛び出て、沢山の家来や、猟
師どもは逃げ迷ふ中に、天皇は雄然として弓を以て突き止め、御脚を挙げてポンと蹴殺
しになった。それ程勇猛であらせられる外に、又一面非常に優しく、吉野行幸の時は、
吉野少女ヲトメの琴に合して和歌を詠じ給ふた。此天皇が、又葛城山に御狩の時、御供の臣
下は一同青い着物に、赤い紐をつけて、対の揃った風俗ナリをして、ドンドン勇み喜んで
山に登ると、丁度向の山の裾からも,この天皇の行列の通りに、青き着物に赤き紐を飾
って、同じ程の人がドンドン昇って行くので、天皇は不思議なのと、一天万乗の真似を
する此不届なるものの仕業を御憤りになって、
「此の日の本の天が下に、朕の外に天皇はない筈であるに何奴ぞかく無礼の事をする
ぞっ」
と仰せられると、向ふの行列からも同じやうに、
「此の日の本の天が下に、朕の外に天皇はない筈であるに何奴ぞかく無礼の事をする
ぞっ」
と真似をするので、天皇は逆鱗あらせられて、
「それ者共、彼奴を射殺せ」
と御指揮遊ばすと、向ふも其通りに、
「それ者共、彼奴を射殺せ」
と弓矢を構へた、事はソレッと一声で非常なる大事になる。賢明なる天皇はこれ物の奇
怪にあらず必らず神のしるしであらうと思って、気を静め、大声に、
「開戦は面白し、然らば双方名を名乗らん、其方より名乗れっ」
と仰せになると、
「吾こそは、悪事も一言、善事も一言、何んでも彼でも、一切一言で定める、葛城一
言主神カツラギヒトコトヌシノカミである」
と言はれて、天皇は非常に驚ろかせ給ひ、皆の着物から、太刀、弓矢まで悉く脱いで、
この一言主の大神に差し上げ敬意を表せられると、大神は、天皇の勇武を以て、かく温
順にあらせらるゝ事の、無益の殺生セッショウを慎みてなし給へる天皇の慈悲を御賞めにな
り、手をパタパタと拍いて大喜びに喜び其品々を受取り、天皇の御還幸を山の麓まで御
見送になったと云ふ。この一言主神は、実に事代主神であると云ふ説がある。
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