神様の戸籍調べ 四 大倉主命オホクラヌシノミコト この神は九州筑紫崗浦ヲカウラと云ふ漁村に住居があり、菟夫羅姫ツブラヒメと夫婦であった。 景行ケイカウ天皇が西海御巡狩ゴジュンシュし給ひ、此地方の悪者を御征服になった時、崗浦 に船を浮かべなさり、海上に出ますと船が動かなくなった。陸には百万の大軍を恐れ給 はざる天皇も非常に御弱りになって、色々御苦心されたが、何しろ海上のこと故どうす ることも出来ぬ。御座船の案内役をしてゐる熊鰐クマワニと云ふ者も是には閉口して仕舞っ た。実はこの浦辺に住む男女二人の神、即ち大倉主命とその妻菟夫羅姫が、此度の天皇 の御渡航を御邪魔申してゐるのでした。 「実に不都合であるが、此浦は全く此二人の支配地で、私共では及ばぬ処であります」 と熊鰐は申し上げた。 遂に軍人の一人大和国菟田ウダ出身の伊賀彦イガヒコなる者を以て、彼等二人の神に奉仕 せしめむと御祈りになったので、漸く船が進行するやうになった。それから伊賀彦は、 筑前国遠賀郡ヲンガグン矢矧村ヤハギムラに高倉神社を営み、この二神を祭祠サイシした。[次へ進む] [バック]