[神職奉務心得]
 
七、弘長元年(1261)二月廿九日辛酉幕府の令
 
                 参考:神社本庁発行「神職奉務心得(資料集)」
 
               『神史』(昭和八年刊)亀山天皇の御代の叙述。この
              のち蒙古襲来に際して示された、亀山天皇はじめ朝野一
              体となっての神明への必死の祈願についてはいふまでも
              ない。
               『神史』は五弓文久が著した漢文体の神道通史。五弓
              は備後国の社家に生まれ、著述のかたはら郷党子弟の教
              育に尽力、のち明治政府に出仕して修史事業に従事した。
 
 弘長(亀山朝)元年二月廿九日辛酉、幕府令を下していはく、祭祀の礼たるや歳きは
めて豊なりといへども奢るべからず、歳きはめて凶なりといへども倹ツツしむべからず、
これ古今不易の常経ジョウケイなり。しかるに近き年、神事みな古法にたがひ、豊倹当に過
ぎ、神いかりて人うらむ。まことにおそれざるべけんや。今より以降、つねの祭はもと
より怠るなく、もし非常の礼典を修むべくんば、また時に適せる措ハカラヒのよろしきを要
すべきなり。封あるの社は累世の管府に附托し、小破あればすなわち修理し、頽敗タイハイ
し支ササふべからざるにおよべば、則ち事由を建白し、有司ユウシ検察して葺理シュウリすべし。
しかして近き歳、祠官ひとり神封をほしいままにし、祠宇シウ朽廃していかにもすべから
ざるに委ユダぬ。神を慢アナドり官をないがしろにす。罪はすくなからずとなす。今よりあ
らためざれば、則ち速かにその職をうばひ、もって徴創チョウソウの典を行へ。また神祠シンシ
に供へ奉るを除く外は、みだりに鷹狩を禁ず。
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