03 祈年祭・祈年穀奉幣
 
                       参考:吉川弘文館発行「古事類苑」
 
                    以下本稿は、吉川弘文館発行「古事類苑」
                   を参考にさせていただきました。
                    収録した記事は、国家の祭祀が中心ですの
                   で、現行のものとは異なっております。往古
                   を偲んでみて下さい。
 
                    なお大嘗祭は、天皇ご即位の後初めて、新
                   穀を以て天照大神を始め天神地祇に供し、天
                   皇自らも聞し食される祭で、天皇一世に一度
                   の大祭祀であり、わが国の祭祀の中では特別
                   な意義を持つお祭りです。
                    本稿では、大嘗祭につきましたは、省略さ
                   せていただきました。       SYSOP
 
[祈年祭キネンサイ]
祈年祭は、訓じてトシゴヒノマツリと云ふ。
毎年二月、神祇官及び国司の庁に於て、年穀の豊穣を神祇に祈請する儀なり。
文武天皇の慶雲三年、甲斐、信濃、越中、但馬、土佐諸国の十九社、始めて祈年祭幣の
例に列せらる。祈年祭幣社、始めて此に見ゆ。
其の後桓武天皇の延暦十七年、また祈年の幣帛を奉るべき神社を定められしかども、其
の数詳ならず。
次で宇多天皇寛平五年の太政官符には、京畿外国大小通計五百五十八社とあり、以上は
官幣なるべし。
 
醍醐天皇の延喜式に拠れば、総て三千百三十二座にして、其の内神祇官に於て祭る所七
百三十七座なり。
而して幣を案上に奠する大社三百四座あり。之を案上官幣と云ひ、然らざる小社四百三
十三座あり、之を案下官幣と云ふ。
国司の祭る所、また大社百八十八座、小社二千二百七座あり、是を国幣と称す。
 
官祭国祭共に毎年二月四日に於て之を行ふ。
其の斎戒は、散斎は三日、致斎一日にして、散斎の前一日、所司を召して其の由を宣示
し、翌日平旦、所司神祇官の斎院に就きて点を受くるを例とす。
 
此祭は伝て云ふ、天武天皇の四年二月に始まると。
次で文武天皇の大宝令にも略々其の儀式を制定せられしかども、其の最も詳なるは、清
和天皇の貞観儀式、醍醐天皇の延喜式等とす。
 
其の儀、当日幣物を神祇官の斎院に陳し、神祇官人は御巫等を率ゐて西庁の座に就き、
大臣以下は北庁の座に就き、式部また群官を率ゐて南庁の座に就く。
既にして大臣以下官人所司、共に降りて庁前の座に就き、中臣進みて祝詞を宣す。
大臣以下諸司拍子両段、然る後各々本座に復す。
次に忌部は神祇伯の命に由りて幣帛を頒ち、異畢りて大臣以下諸司各々退出するを例と
す。
 
祭に前つこと十五日、忌部及び木工をして供神の調度を作らしめ、また当日には、京畿
より白鶏一隻、近江国より白猪一頭を貢し、左右馬寮は各々祓馬十一匹を進む。
鶏猪は御歳神に奠する所、神馬は伊勢両宮を始め、御歳神、高御魂神、大宮女神、及び
山口水分等の神、総て二十二社に献ずる所たり。
而して此等の調度幣物を頒つには、伊勢両宮へは特に使を遣し、其の他は諸社の祝等を
して、当日祭庭に来り受けしむる例なりしが、嵯峨天皇の頃より、既に諸社の祝等祭庭
に参会せざるもの多く、醍醐天皇の延喜の頃に至りては、祝等の懈怠益々甚しく、偶々
参会して幣物を受くるものも、之を私して其の社に奉ぜず。
神馬の如きは、郁芳門外に於て直に市人に沽るに至れり。
されば屡々官符を下して、或は神官の懈怠を誡め、或は国司をして此等の非違を監察せ
しめ、また程途遼遠の地は、特に当国の幣を以て之に充てしめ、若くは朝集使等に附し
て之を送る等の制をも設けられたり。
 
されど後世朝威の衰ふるに及びては、此等の制また遂に行はれず。
亀山天皇の文永の頃には、徒に幣物を神祇伯の許に放擲して顧みざりしかば、之を諸社
に進むるに由なくして、奉行の官人は其の処置に困みしことさへあり。
加之儀式もまた朝廷の陵夷と共に、漸く衰頽に趣き、往時日時を延引するは触穢に止ま
りしが、後世は往々用途の不足によりて行はれざる事あり。
 
応仁の大乱を経て、遂に文明以後全く廃絶す。
近世東山天皇元禄の頃、再興の議ありしにや、祈年祭、神嘗祭等の旧儀を蔵するものは
進献すべしとの命ありしかども、遂に再興に至らず。
文明以後凡そ四百年を経て、今上天皇の明治二年に至り、始めて再興し給ふことゝなれ
り。
 
当日参集の官人は、神祇官は伯以下悉く奉仕し、太政官は大臣以下参議以上、其の他宮
内、大舎人寮等の官人もまた各々参集の定員あり。
而して神祇官人以下悉く鬘料を賜ひ、中臣は祝詞を宣する料として庸布短帖を賜ふ。
其の他供神の調度を作らしむる諸工人には、各々衣食を賜ふ制あり。
また新任の人、当日始めて上卿を務むる時は、事畢りて後、神祇官の史生、官掌、及び
太政官の召使等に、私に饗禄を給するを例とせり。
 
祈てふ年の緒ながき君が代を 三ちゞあまりの神やうくらん
                          (年中行事歌合 秀長朝臣)
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