10a 日本の神々と易・五行〈その9〉
3 「亥」の全体像 − 各「亥」の再構成
前述しました各「亥」について,再構成してみましょう。
@「亥」の字義は「とじる」こと。
A木火土金水の五気のうち,「亥」とは「水気」であり,かつその「水気の始め」と
いうこと。
Bこの水気は「冬」に配当されるが,水の始めとしての「亥」は当然,「冬の始め」
でもある。
C年十二カ月の中では,「亥」は旧10月。
D一日十二刻の中では「亥」は「亥刻イノコク」,午後9時から11時。
E空間における「亥」とは,西北隅,つまり戌亥(乾イヌイ)に当たる。
F「易」においては全陰の「坤」卦,消長の卦では旧10月。この全陰の象が「亥」と
なる訳である。
G亥月の行事は,全てその象に適う行事の絞られる(中国古典による天地閉塞・万物
収蔵など)。
H「亥卯未」の結合,即ち三合の理によって,この三支は「木気」に化す。
I「亥寅」の結合,即ち支合の理によって,前者と同じく,この両支は「木気」とな
る。
このうちHIの2例は特殊です。つまり本来,水気の「亥」が,「三合」「支合」の法
則によって,木気に変身するからです。三合,支合の2法則応用によってその結果が何れ
も同じ木気に変ずる例は,他の十二支にはみられません。「亥」はこの意味で,極めて
木気と縁が深く根「亥」はこのため「田の神」「作の神」となり,亥月の旧11月に豊作
祈願の祭りや民俗行事が全国的に執り行われるのです。
ア 神無月,及びお忌み祭り − @EFGの応用
イ 亥月亥日に炬燵を出す民俗 − ABの応用
ウ 「十日夜」或いは「亥子イノコさん」行事 − CDFHIの応用
4 神無月考
(1) 出雲の神在祭(お忌み祭り)
神無月とは亥月(旧10月)の和名です。神無月とは文字通り神不在の月で,それらの
神々は出雲に行かれ,出雲に限ってこの月を「神在月」といっています。出雲は当時の
首都である大和からは西北たる「戌亥隅」に当たります。
一方,「易」の10月の卦は「全陰」です。陽の気の象を「天」或いは「神」とします
と,全陰の卦は神の不在を意味します。10月はまた太陽の光りみ衰微の極に近く,あら
ゆる点から考えて神不在とされたのでした。
出雲の佐太神社「祭典記」には,
「古老が伝えていうには,此処出雲は日域(日本)の戌亥隅(西北)という陰極の
地であり,女神先神伊邪那美は陰霊で,亥月という極陰の時を掌る神である。」
と明言されています。そこで「神在祭」,一名「お忌み祭り」が行われているのです。
一方出雲の十月の祭りは,祖神伊邪那美命の追慕を名目にして参集する,日本中の八
百万の神々の神送りもまた,同時にこの祭りの中の重要神事であって,伊邪那美命は勿
論,八百万の神々も,極陰の出雲から送り出されるのです。このように日本中の神々の
神送りが,出雲の地において年毎に盛大に行われていることになります。
この神不在は,それが亥月である10月という月の中に潜む極陰・衰微・無・神不在の
相を,祭りの形で形象化し,天下を無の一色にする所以なのです。天下を無にしてこそ,
初めて来るべき11月という冬至を含む霜月の「一陽来復」が期待されるのです。
古代日本人が10月を神無月と呼んだ背景には,「無」に対する認識があります。この
認識から二つの重要な古代日本人の意識を知ることができます。
@「有」の前提となるものは「無」です。従ってその「無」の確認,「無」の具象化
が必至となる。
A「無」の確認,その具象化は,祭りを媒体とした「時処の一致」によって可能であ
る。
ということで,それらは中国哲学の精髄でもあります。神無月の名称,及び出雲の神在
祭は,日本神話,並びに日本の国土に即して日本的に消化された中国哲学の一つの実践
として捉えられると思います。
(2)「お忌み祭り」の名称
亥月の「とざす」にみられる天地閉塞,或いは「易」の「全陰」の形象化が出雲にお
ける亥月の祭りとしますと,同じその出雲の祭りの中にみられる厳重な斎戒・謹慎は,
その「閉塞」「全陰」の別途の表出であり,形象化です。
それは,出雲の神在祭,即ち別称神去神事カラサデは,また「お忌み祭り」として広く知
られていますように,この祭りの期間中,祭主の宮司は忌み篭もりを厳守し,食事の別
火は勿論,理髪,爪切もせず,ひたすら謹慎するからです。それは古代中国で亥月の「
天地閉塞して冬を成す」の意を,国事において形象化し,「謹んで倉に穀を積んで閉ざ
し,城関を閉じて内を固める」ことに通じます。
そのような謹みの行為を,生身の身体に執れば,それはひたすらに気を内に篭める「
忌み篭もり」の斎行となります。つまり一切の音を発てること動くことを禁じ,毛髪,
爪の類に至るまで,払い捨てることなく内に向かって貯える,それが真正の「忌み篭も
り」なのでした。
(3) 年穀祈願祭としてのお忌み祭り
次に「冬」を「終」とする故に孟冬としての亥月の祭りは,来るべき年の年穀祈願祭
でもあります。出雲佐太神社の神去神事カラサデが,また年穀祈願祭であることを実証する
例に,その祭りにおける「神木飾り」が挙げられます。
「神木飾り」は五穀豊穣祈願の呪物とみられる「亥子カヅラ」「柳削り掛」と「桜ノ
皮」や「御膳幣」の供え物は,五穀祈願祭であることを裏付けています。
5 田の神としての「亥」
(1) 三合の理によるその変身
各地の亥子神祭祀の間には,10月と2月,又は10月と6月の両度に祭祀が行われること,
或いは亥子神を田の神とするなどの共通性があります。各月に十二支に置き換えますと,
亥月・卯月・未月となり,卯の三合,或いは木気の三合の形成であることが判ります。
木気は五穀をも含むので,亥子神は田の神,作の神となる訳です。
田の神は春に田に下り,秋には山に帰って山の神となります。この田の神と山の神の
輪廻は,ほぼ全国的な信仰ですが,その背後にあるものもまた,「易」なのです。即ち
「亥」によって象徴される西北である戌亥の方位は,先天易では「艮ゴン」で,「山」を
表わします。
(2) 支合の理によるその変身
「亥」の作の神への変身は,三合のみでなく,「寅」との支合によっても可能です。
10月10日夜の行事に関東で「十日夜トオカンヤ」,関西が「亥子イノコさん」があり,童男が藁
鉄砲などで村内の大地を叩いて廻るという,モグラ叩きのような行事があります。これ
は,「易」卦で,「艮ゴン」は山,少男で,その方位は後天易では「丑寅」なので,童男
の中には「寅」が存在します。亥月亥刻における「寅」を含む童男の活躍は「亥寅支合
の形成呪術」とみなされ,その側役を務める藁鉄砲は,虎の尾の造型と推察されるので
す。
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