05a 日本の神々と易・五行〈その4〉
 
5 近江遷都と「鼠」
 天智天皇6年(667)3月19日,都は大和浄御原宮キヨミハラノミヤから大津に遷されました(近
江遷都という)。大津は飛鳥から約60q距てた真北にあります。
 一国の正史たる「日本書紀」天智五年条に,
  「是冬,京都ミヤコ之鼠,近江に向かって移る」
とあります。これはつまり,
 @鼠とは「子」
 A冬とは旧11月,つまり「子月」
 B近江とは真北の「子方」
ということになります。この文は「子月ネノツキに,子(太極)が,子方ネノカタに行った」と
解読され,来るべき年に行われる筈の遷都の予祝の占故に,敢えて正史に記載(鼠の移
動のこと)されたものと考えられます。
 近江遷都に始まる「子午線上の遷都」は,桓武天皇の平安遷都に至るまで約130年間に
6回も繰り返されています。
 北方遷都とは,宇宙の中心の象徴たる北の子方を目指す壮大な古代人の意図の表出で
あるが,その意図が正史の中に「鼠」字を含むわずか10字の中に表出されていることは,
最も重視されることです。
 
6 大黒様の「子祭ネマツリ」
 子祭は普通,旧11月の子の日に執り行われます。
 その中で例えば,「子燈心ネトウシン」といって子月子日の大黒様の祭日に燈心を買い,そ
れを年間の用に充てるという行事があります。この場合の子燈心とは,大黒様の別名で
もあります。
 燈心という,極めて微量の火種の元を,この時期にそれを買い込むことは,この微量
の人間の人為の火種を,大自然の気の流れに萌キザした微量の陽気に重ね合わせ,人間の
側からも陰から陽へのその転換を扶タスけ,参与し,助長することを狙いとする行為です。
それは天地,宇宙のその時の方向に順うことを意味し,「礼記」の「月令」を貫く哲学
の実践そのものです。
 このように大黒様の祭りの主要行事である「子燈心」をみるとき,其処に泛ウかび上が
ってくるその祭神の本質には,大国主神というより,大黒即ち太極があるのみと思われ
るのです。
 
7 大黒神像と宗教・哲学合一像
 日本の大黒様の神像の典型は,
 @頭には,いわゆる頭巾ズキン(つまり大黒帽の元祖の頭巾)を被り
 A胴体部では,右手に打出の小槌,左手には大きな袋を肩に担ぎ
 B脚部は,開いた両脚で米俵を踏んでいる
という,不思議な恰好をしています。
 2俵の米俵を踏んでいる姿は,見方を変えると一つから二つが派生していることの表現
でもあります。また,大黒様のお供えは二股大根と決まっています。
 このように二者を一にするもの,一から二を派生する様相を示すものは,既に述べま
したように「子」であり,「太極」です。
 以上綜合しますと大黒様の中にみられる神格は,
  インド(天竺)=性神としてのマカカーラ(リンガの形)
  中国(唐)  =太極
  日本     =大国主命
となります。
 このように大黒信仰は,唐・天竺・日本三国の,当時における「世界」の宗教・哲学
の合一像と捉えることができます。

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