02d 千字文(抄)
寵増抗極 チョウソウカウキョク いつくしみませば あらかひいたる
君の寵愛が増すときには、極めて高ぶるものなり、能く其程度を守るべきな
り。
殆辱近耻 タイジョクキンチ はずかしめにちかづき はぢにちかづき
君の寵愛を得て、高ぶるときには、高位の身になるほど人に妬まれ、耻辱に
近づくこと多し。
林皐幸即 リンカウカウソク りんかう さいはひにつく
林皐とは山林にて、高位高官に昇るときには、好機會を見て退き、山林の間
に隱るゝを幸とす。
兩疏見機 リョウソケンキ りょうそ きをみる
疏座と疏受との賢人父子ありて、父は足ることを知れば危からずといひ、子
は功成り名遂ぐといひ、
解組誰逼 カイソスヰヒョク そをとくは たりかせまらん
去るべき機を見て病と稱し冠の組紐を解きて去れり、こり誰に逼られしにも
あらず、自らせしなりり。
索居閑處 サクキョカンショ きょを かんしょにもとめ
しづかなる處に卜して居りて、心をしづからもち、世の富貴を見ても、心に
あこがれざるをいふ。
沈黙寂寥 チンモクセキレウ ちんもくせきれう
世間に交際するにも、ことば少なくして沈黙することを守り、ものしづかに
天を樂しむをよしとす。
求古尋論 キウコジンロン ふるきをもとめて ついでろんじ
古への書を讀み、古への道を尋ね、それを論じ、天眞を樂しみ世をすごし、
自得するなり。
散慮逍遥 サンリョセウエウ おもんぱかりをさんじて せうえうす
隱遁をして、世の煩はしき物おもひの欝情を散じ、おもひのまゝに逍遥とて、
そゞろあるきすること。
欣奏累遣 キンソウルヰケン よろこびいたり わづらひさり
かくして在れば、欣喜の情が内心に動き、世のわづらひは去りつくす。これ
は自然のいきほひなり。
戚謝歡招 セキシャクワンセウ うれいさり よろこびいたる
戚(セキは戚の下辺に心のある字)はうれひ心なり。此の心配は謝し去りて、
歡びごとは招かずとも、自然に來ることを云ふ。
渠荷的歴 キョカテキレキ きょかは てきれきたり
渠は溝にて、荷は蓮の花なり、溝に咲けるはすの花は、的歴とあざやかに花
ひらきて美しきをいふ。
園莽抽條 エンモウチュウデウ えんもうは えだをぬきんず
莽は園内にしげれる草なり、條とてその枝は、伸びぬきんでゝ一面にしげり
生長して見ゆること。
枇杷晩翠 ビハバンスイ びはは おそくみどりに
枇杷はさまで見どころなけれども、晩とて年のくれの冬になれば翠色をかへ
ず、いつ迄もみどりに
梧桐早凋 ゴトウサウテウ あをきりは はやくしぼめる
梧桐とて青ぎりは、すぐれて大なる葉なれども秋にいたれば、他の木よりも
早く凋ぼみ落つるなり。
陳根委翳 チンコンヰエイ ふるきねは すたれなへ
陳根はふるき根のことにて、委翳は、しぼみすたるゝなり。こりは、秋のさ
びしき景にて、
落葉飄揺 ラクエウヘウエウ おちばは ひるがへる
又、秋に至りて草木の葉は、色あかくなり、ひらひらと風に吹かれ、園内に
散りしきてさびし(エウは風偏の揺)。
遊昆獨運 イウコンドクウン いうこんは ひとりめぐりて
コン(コンは昆偏に鳥)とは、空中にかけり舞ふ鳥にて、空中の遊ぶ。此鳥
は、ひとり思ふまゝに翔けめぐるなり。
凌摩絳霄 リョウマカウセウ かうせうを しのぎする
絳霄は、赤き色をあらはす日没の大空なり。コンは此大空を飄々乎として、
獨り忍びあそぶ景
耽讀翫市 タンドククワンシ よむことにふけり いちにもてあそび
外に出でゝは、其むかし王氏が書肆ショシの店頭にて、書籍を讀むに耽りたるご
とくありて、
寓目嚢箱 グウモクナウサウ めを なうさうにやどす
入りては眼を書籍を入れたる嚢や箱に寄せて、ひたすら文學を研究して、最
も樂しくあるさま。
易酋攸畏 イイウシウイ いいう おそるゝところ
易酋(イウは車偏に酋)は輕率なることなり。此かるはづみなることは、最
も畏るゝ所にして、愼しむべきことなり。
屬耳垣墻 ショクジケンシャウ みゝを けんしゃうにあつむ
ことわざにいふ如く、壁に耳ありといへば、人なき所にても必ず言行を愼し
むべきなり。
具膳餐飯 グゼンサンハン ぜんをそなへ めしをくらふ
飲食するときには、必ず膳を具へて禮義に從ふべし。禮を缺きて食事をなす
ことあるべからず。
適口充腸 テキコウジウチャウ くちにかなひ ちゃうにみつ
飲食は、口に適ふ食を取れば足る。又、腹に滿つれば可なり。必しも美食を
爲すに及ばず。
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