05a 暦 − 暦書その三
 
△二十八宿
 二十八宿とは,黄道及び赤道に近い天空の部分を二十八に分け,その各々を宿と称し,
それに星座名を附した中国の星座です。二十八宿は中国において,暦学上の必要から発
生したもので,太陰の宿内における位置から太陽の位置を推定するために設けられたも
のです。
 太陰は恒星に対して,27.3日(恒星月)で天を一周しますので,この目的のためには
天を27,又は28に区分するのが便利ですが,4分できるという点で二十八を採用したと
考えられます。十二宮キュウが太陽のその宮に入る時を知って,季節を正すために設けられ
たのに対して,二十八宿は太陰の運行から朔における太陽の所在を推定して,季節を立
たすために設けられたものです。
 二十八宿とその性質の同じものがインド,アラビア等にも存在します。インドの宿は
二十七宿と二十八宿の2通りありますが,二十七宿の場合には牛宿が除かれます。
 二十八宿の中国名は,角カク・亢コウ・ていテイ(低の字の人偏のないもの)・房ボウ・心シン
・尾ビ・箕キ(以上東方七宿,蒼龍ソウリュウ),斗ト・牛ギュウ・女ジョ・虚キョ・危キ・室シツ・
壁ヘキ(以上北方七宿,玄武ゲンブ),奎ケイ・婁ロウ・胃イ・昴ボウ・畢ヒツ・觜シ・参サン(以上
西方七宿,白虎ビャッコ),井セイ・鬼キ・柳リュウ・星セイ・張チョウ・翼ヨク・軫シン(以上南方七宿,
朱鳥シュチョウ)で,角宿カクシュクに始まります。インドの宿は昴宿ボウシュクから始まります。
 二十八宿の起源は,周シュウの時代の初め頃中国において始められました。その後インド
に渡り,インドにおいて迷信づけられて,唐トウ時代に中国に逆輸入され,日本へは「宿
曜経スクヨウキョウ」として伝来されました。宿曜道の隆盛に伴って,これが暦書にも記載され
るようになりました。二十八宿の起源は全く純天文学的なものであって,今日にように
吉凶判断の材料のために考え出されたものではありません。
 当初日本においては「宿曜経」に従い,インドの二十七宿を採用して月・日に配し,
正月には室シツ宿,二月奎ケイ宿,三月胃イ宿,四月畢ヒツ宿,五月参サン宿,六月鬼キ宿,七月
張チョウ宿,八月角カク宿,九月テイ宿,十月心シン宿,十一月斗ト宿,十二月虚キョ宿と配当し
ました。日に対しては,各月の宿を一日に当て,これから順に宿順に割り当てていきま
す。従って,月に配する宿名はその月の一日の宿名と同じです。閏月ジュンゲツに対しては
の前月の宿名を用います。このため,毎年,他の暦記載事項は月日に対して変わってい
きますが,二十七宿だけは一定不変です。
 ところが貞享改暦において,貞享2年からは中国流の二十八宿を採用しました。これ
は年・月・日は別々に,連続して順に配当していきますので,年に対しては28年,月に
対しては28カ月,日の対しては28日の周期で循環します。貞享三年の貞享暦を例に採り
ますと,年は觜シ宿,正月は星セイ宿で正月一日は星セイ宿,二月は張チョウ宿です。日に配す
る宿名は朔日ツイタチ分だけを記しました。二十八宿中,鬼キ宿は最も吉日とされていました
ので,日に配する鬼宿だけは「きしく」として暦に記載されました。
 このように,宣明センミョウ暦時代10世紀末から「宿曜経」に従って連続記載してきました
宿を,貞享改暦時に全く異なった中国流の新法に切り替えましたので,日の吉凶判断は
逆転急変しましたので,宿の意義は一旦この改暦において失われたことになります。
 なお,弘法大師によって伝来された二十七宿配当のものは仏教に関係のない俗暦に用
いられ,弘法大師の開いた高野山においては中国の二十八宿配当のものが用いられてい
ることは,本末転倒であり,また利用者にとって何れを信仰すれば迷うところです。 
 ところで七曜が二十八宿と結び付いて選日される暦注,例えば甘露カンロ,金剛峯コンゴウ
フウ,羅刹ラサツは,七曜と二十八宿の組合せに依存します。
 二十八宿採用以後は,七曜・宿ともに連続して日に配しますので,例えば虚宿と日曜
日が同年・同月・同日に配されますと,二十八日毎に再び虚宿日曜が廻ってきます。従
ってそれに配される暦注も当然二十八日周期で循環することになります。
 次に六十干・二十八宿・七曜の関係はその周期の最小公倍数420で循環します。
△三伏サンプク
 いろいろな選日法がありますが,最も一般的なものは,五月中(夏至)後第三回目の
庚の日を初伏ショフク,四回目の庚の日を中伏チュウフク,七月節(立秋)後の最初の庚の日を末
伏マップクとします。
 初伏・中伏・末伏を総称して三伏といいます。夏は火気の盛んなるがため,庚の金気
もこれで伏せられるといいます。新暦においては,最も早い年で七月十一日頃が初伏,
二十一日頃が中伏,八月八日頃が末伏となります。三伏は夏の酷暑コクショ期に当たります
ので,この時期を三伏の候といい,時候の挨拶となっています。
△八専ハッセン
 六十干支を五行に配当しますと,干・支ともに同気の重なるものが12あります。その
うち八つは,壬子ミズノエネから癸亥ミズノトノイまでの十二干支の間に集まっています。
 
 水水 水土 木木 木木 火土 火火 土火 土土 金金 金金 水土 水水
 壬子(癸丑)甲寅 乙卯(丙辰)丁巳(戊丑)己未 庚申 辛酉(壬戌)癸亥
 
 この干支の五行の相勝ソウショウするところの八日を八専といい,同気の重ならない四日を
間日マビと称しています。暦では八専門の初日壬子ミズノエネの日に「八専に入る」,最終の
癸亥ミズノトノイの日に「八専のおわり」と記します。八専の第一日を八専太郎,二日目を八
専次郎と称し,農家の厄日の一つとなつています。
 八専は一年に6回あり,日数にして72日,そのうち間日マビが24日あります。陰陽の気
が偏する故,この間天候悪く,陰雨が多いといわれます。世俗に「照り入る八専降る八
専,降り入る八専照る八専」といって,八専の入口の日が晴天ならば八専中は雨天勝ち
となり,また入り始めの日が雨ならば,その期間中晴天勝ちといいます。また「世時百
態セジヒャクタイ」という本に「彼岸ヒガンの節に入り始めの日天候佳く,八専は二日目,土用
は三日目,寒入りは四日目,天気佳く晴れて寒暖も順に穏かなれば豊年なり」と書かれ
ています。
△庚申カノエサル
 庚申は八専の第九日で,金気が重なっています。庚申の日は金気強く旺サカんなる日で,
天地万物の気,庚申の日に変革されますので,最も重要な日とされています。
 神道では猿田彦サルタヒコを,仏家では青面ショウメン金剛を祭り,道家では三尸サンシの節を建て
ます。この日には庚申待とも庚申祭とも称し,中心をなす家に村内の者,又は縁故者が
集まって,祭祀サイシを行った後で会食して,夜を徹テッする風習があります。
△甲子キノエネ・己巳ツチノトノミ
 庚申と同じ性質の暦注で,甲子の夜は大黒天を祭ります。鼠は大黒天の使者ですので,
十二支の子(ねずみ)の日にこのお祭りをします。己巳は福徳賦与フヨの神とされる弁財
天ベンザイテンを祭る日です。巳(へび)は弁財天の使者ですので,巳の日が選ばれたので
す。
 なお,甲子・己巳・庚申祭は,何れも共通の思想から出た行事と考えられ,日を定め
て神仏を祭る習俗のあったことを物語るもので,江戸時代の略歴には,必ずこの三つは
記載され,現在までもこれは継続されています。
△十方暮ジッポウグレ
 八専のように同気の重なるものではなく,上下互いに相剋ソウコクするもので,甲申キノエサル
の日から癸巳ミズノトノミの日に至る10日間を十方暮といいます。
 
 木金 木金 火土 火水 土木 土土 金木 金木 水土 水火
 甲申 乙酉(丙戌)丁亥 戊子(己丑)庚寅 辛卯 壬辰 癸巳
 
 10日のうち,丙戌,己丑の2日は五行の相剋に当たりません。この期間は天気陰鬱イン
ウツとして晴朗ならず,天地和合しませんので,物事を為すに悪い日とされています。十
方暮れは途方暮トホウクレに通ずる語呂ゴロからきたものといわれており,信ずるに足りませ
ん。
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