04a 暦 − 暦書その二
 
△中秋の名月
 四季の各季は3カ月ですが,旧暦ではその第一月に孟モウ,第二月に仲チュウ,第三月に
季キという字を冠し月名を表します。例えば孟秋・仲秋・季秋といい,仲秋は旧暦八月で
す。この八月十五日の夜の月を仲秋の名月といいます。古くから伝わる年中行事の多く
は,旧暦の日付をそのまま新暦の日付に移して行われますが,この仲秋の名月と,九月
十三日の月見だけは,陰暦で行われます。
 
  月々に 月見る月は 多かれど 月見る月は この月の月
 
 仲秋の名月を観賞することは,中国唐トウ代に知られており,これがわが国に伝わりま
した。宇多ウダ天皇の寛平九年(897)に宮廷で月見の宴が張られたのを初めとし,以後
これが慣例となり,民間へと拡がったものです。この頃は秋分の頃の満月の日で,この
日は太陰に供物クモツを献じ野宴ヤエンを張って楽しみます。
 仲秋の名月は芋イモを供えるので芋名月,また十五夜,三五の月ともいいます。
△十三夜の月見
 陰暦九月の満月頃も,仲秋の名月と殆ど変わらない状態で名月を楽しむことができま
す。わが国では陰暦九月十三日夜の月見を後アトの月見とか,十三夜の月見,またこの頃
収穫される栗や豆を供えますので,栗名月,豆名月ともいわれています。
 この名月鑑賞はわが国固有のものです。「倭漢ワカン三才図会ズエ」には,鳥羽トバ天皇保
安2年(1121)の九月十三日夜に関白藤原忠通が「翫月誌ツキヲモテアソブシ」を詠んだことか
ら始まったと書いてあります。京都の需医ジュイ松下見林ケンリンは,「菅原道真が配所ハイショ
に在って,たまたま九月十五日夜,名月を見て去年の今夜を偲んで詠んだ詩(菅家後草
カンケコウソウ秋夜九月十五日詩)は元来九月十五日でしたのを,後人が五を三に誤って十三日
としたため,これが後々までも恒例となったのでしょう」と書いています。
 
〈雑節〉
 二十四節気と同様,雑節と称して慣習的に暦に記載される事項があります。雑節は,
二十四節気を補う季節の目安ともなり,各地で行事が行われるものもあります。
△節分セツブン
 太陰太陽暦では,立春・立夏・立秋・立冬をそれぞれ四季の始めとし,その前日はそ
の季節の終わりに当たりますので,この日を節分といいます。従って節分は春・夏・秋
・冬の終わりに4回あることになりますが,暦には立春の前日の節分だけが記載されま
した。これは大寒が終わって,翌日から一陽来復イチヨウライフクして春になるという日です。
 太陰太陽暦では,この日を以て二十四節気が一巡して年が果てる日ですので,これを
年越,又は除日ジョジツ,節季などといい,豆を撒いて悪鬼を外に,福を内に招く追儺
ツイナ,又は鬼払いの行事が各家や社寺などで行われます。
 旧暦では閏月を含む年が2,3年毎に起こります。そこで「古今集」春歌上の在原元
方アリハラモトカタの歌に,
 
  年のうちには 春は来にけり 一年ヒトトセを こぞとはいはむ 今年とや言はむ
 
と詠まれることもあります。
△彼岸ヒガン
 春分・秋分の日を挟んで前後三日ずつ,計七日の間を彼岸といいます。春分・秋分の
日を彼岸の中日,初日を彼岸の入り,終日を彼岸の明アけといいます。
 彼岸はわが国独特の暦記載事項で,元来暦家の説にはありませんでしたが,仏家の方
から言い出して暦に載るようになったものです。この日は,太陽は真東マヒガシから昇って
真西マニシに沈み,昼夜の長さが等しいので,「時正ジセイ」ともいいます。
△社日シャニチ・シャジツ
 春分・秋分に最も近い戊ツチノエの日で,前後同日数の場合には前の戊日を採ります。
 五行説に因れば,戊は陽性の土ですので,土気の日を選び,春は五穀の豊穣ホウジョウを
祈念し,秋はその成熟を祝して,神に感謝を捧げる日です。
△八十八夜
 立春から数えて八十八日目で,現行暦では五月二日頃に当たります。あと3日もすれ
ば立夏になりますが,この頃は「八十八夜の別れ霜」といって,霜の降りる最後の時期
でもあります。折角新芽を出して生長しかけた作物に大きな被害を与えることがありま
すので,農家の注意を促すために暦に記載するものです。
△入梅ニュウバイ
 入梅の選日センジツには,「五月節に入って第一の壬ミズノエの日を入梅とする」などの説
がありますが,五月節芒種の壬日は毎年一定日にはなりません。そこで明治9年暦から
は,太陽黄経八十度に達した日を入梅とし,新暦の六月十一日頃に当たります。出梅の
日は一般に暦には記しません。
△半夏生ハンゲショウ
 旧暦の二十四節気を更に三候に細分して,一年を七十二に等分して,その季節に適応
した名称を附す場合があります。これを七十二候といい,一候の長さは大体五日です。
 半夏生は夏至の第三候で,夏至から数えて11,2日が半夏生入候の日です。新暦の七月
二日頃で,太陽の黄経百度に達する日としています。この頃になりますと,半夏という
毒草が生ずるために半夏生といいますが,梅雨の真っ最中でもあり,地の陰毒インドクある
時季ですので,淫慾インヨク・食慾を慎む日とされています。
△土用
 陰陽五行説により中国では,立春・立夏・立秋・立冬にそれぞれ始まる春・夏・秋・
冬にも,木・火・土・金・水の五行を割当てようとしました。しかし,四つしかない四
季に五つを割り当てることはできません。
 そこで考え出されたのが,各季の五分の一の長さをその終わりから削り取って,五行
の中央に位置する土の支配するところとするものです。即ち,各季の長さ91.310日から,
その五分の一の18.262日を取って,土の司るところとしました。従って各季節九十一日
余の終わり十八日余が土に属することになりました。
 土用には,春の土用,夏の土用,秋の土用,冬の土用と一年4回ありますが,夏の土
用は五行説からいって最も土気の旺サカんなため,一般に土用とは夏の土用を指します。
土用とは,「土旺用事」を略したものです。
 新暦の夏の土用入りは太陽が黄経百十七度に達するときで,大体七月二十日頃です。
土用に入って最初の丑ウシの日が「土用丑」です。この頃は一年中最も暑い時季です。土
用に入ってから三日目を「土用三郎」といい,古来この日の天候が快晴ならば豊年,雨
ならば凶年とする習わしがあります。
△二百十日・二百二十日
 立春から数えて二百十日目,二百二十日目の日で,九月一日,十一日頃に当たります。
この頃わが国では,台風襲来の時期で,一方稲の開花期でもあり,農家にとっては重大
に厄日ヤクビです。そこでこれを暦上に記載して,台風時期の目印としたものです。

[次へ進む] [バック]