[詳細探訪] 参考:至文堂発行「神道美術」 〈山王信仰 − 山王二十一社〉 山王サンノウさんとは、比叡山の鎮守さんと云う意味である。と云うことは、比叡山の東 麓の近江坂本に鎮座する日吉ヒエ神社の本宮と摂末社群を総称する歴史的な称号である。 日吉社は、二宮又は小比叡神オビエノカミと呼ばれる東本宮と、大宮又は大比叡神オオビエノカミと 呼ばれる西本宮からなり、他の多くの摂末社群は皆この両本宮に然るべく付属する神々 である。殊に東本宮系の四社と、西本宮系の三社を古来「山王上カミノ七社」と読んで、日 吉信仰を構成する基本とし、これに「山王中ナカノ七社」と「山王下シモノ七社」の末社群を 加えて、世に「山王二十一社」と称する。このほか中世には境内、境外に散在する多く の末社群を併せて、その総数は「内の百八社」、「外の百八社」と呼び、これに比叡山 の伽藍や院坊が入り交じって、山上山下一帯に規模の大きい特異の宗教都市的景観を構 成していた。山王七社の「七」は天台の教学から出たもので、北斗七星が思想の根拠と なっており、百八社の「百八」も仏教思想の百八煩悩ホンノウに因るもので、共に仏教的な 「山王神道」の思想である。 東本宮は、日吉信仰の起こりである神体山信仰に始まるもので、八王子山と呼ぶ神体 山の頂上には、今も男女二柱の荒魂アラミタマを祀る牛尾宮と三宮の社殿が、巨大な磐境イワサカ を差し挟んで建ち、山の麓には山頂二社の和魂ニギミタマを祀る二宮と樹下ジュケ宮の社殿が ある。いわゆる山宮ヤマミヤ二社と里宮二社で、合わせて東本宮系の四社が成立している。 そして古代における氏族神的な、また農耕神的な信仰の性格は、今も古い祭礼や宗教儀 礼の中に沢山伝承されている。神道曼陀羅を主に構成する山王上七社の神名と本地の関 係を示せば次のようになる。 社号 旧称 祭神 場所 本地仏 一 東本宮 二宮 大山咋命オオヤマグイノミコトノ和魂 山麓 薬師 東本宮系の四座 二 樹下宮 十禅師 玉依姫命タマヨリヒメノミコトノ和魂 山麓 地蔵 〃 三 牛尾宮 八王子 大山咋命荒魂 山頂 千手 〃 四 三宮 三宮 玉依姫命荒魂 山頂 普賢 〃 五 大宮 大宮 大己貴命オオナムチノミコト 山麓 釈迦 西本宮系の三座 六 宇佐宮 聖真子 田心姫命タゴリヒメノミコト 山麓 阿弥陀 〃 七 白山宮 客人 白山比羊(口偏+羊)命シラヤマヒメノミコト 山麓 十一面 〃 山王七社に対する信仰が古来篤かったことは、『梁塵秘抄リョウジンヒショウ』の中でも、 仏法弘むとて天台麓に跡をたれおはします。光を和らげて塵となし、東の宮とぞ斎イハ はれおはします。 東の山王おそろしや、二宮、客人マラウドの行事の高の王子、十禅師、山長ヤマヲサ、石動 ユスルギの三宮、峯には八王子ぞおそろしき。 王城東はちかつうみ、天台山王峯のお前、五所のお前は聖真子ショウシンジ、衆生願をいち たうに。 などと歌われている。多くの山王曼陀羅が作られて、広く礼拝されてきた信仰の歴史を 裏付け、「民の心」を表している文学であるとも言える。