[詳細探訪] 参考:小学館発行「万有百科大事典」 〈祇園信仰ギオンシンコウ〉 祇園信仰とは、全国諸所に鎮座する八坂ヤサカ神社或いは祇園社とも呼ばれる神社の祭礼 を主体とする信仰である。この神社の本祠は、京都市東山区祇園町に鎮座する八坂神社 (元官幣大社)で、素戔嗚命スサノオノミコト、稲田比売命イナダヒメノミコト、八柱御子神ヤハシラノミコガミ を祭神とし、祇園天神、祇園社と呼ばれ、その祭礼は祇園祭或いは天王祭と称するが、 古くは祇園御霊会ゴリョウエと云い、疫神に祈って疫病から免れる信仰から出ている。御霊 とは怨魂などが疫神となって人に祟タタる霊魂を云い、以前は旧暦六月の悪病流行の時期 に行われ、氏子の町々より山鉾ヤマボコを飾り、市中を巡幸して神輿シンヨの駐所四条に集合 する祭礼で、現在は七月十七日より一週間催行されている。祭る神は疫病を威圧して鎮 静させる強大な神力を持つ牛頭ゴズ天王で、武塔ムトウ天神とも云い、これを素戔嗚尊とす る。 祇園祭は鎮疫神の牛頭天王を祭って疫病を避ける信仰であり、その起源は蘇民将来ソミン ショウライの伝説に由来する。 武塔天神がかつて南海を巡狩し、日暮れて民舎に行って宿を求めたところ、時に二人 の兄弟があった。兄を蘇民将来と云い、弟を巨旦コタン将来と云う。蘇民は貧しく、巨旦は 富んでいたので、宿を巨旦に求めたが応ぜず、そこで蘇民に求め、蘇民は天神に粟稈ゾク カンを座として粟飯を献じた。 その後八年、天神が八王子を率いて蘇民の家に至り、昔日の恩を謝し、教えて茅輪チノワ を作らしめた。その年、疫病が天下に流行したが、蘇民一家は茅輪を懸けたのでその災 を免れることが出来た。以後これによって疫病が起こると、人々は蘇民将来の子孫と書 いて疫災を免れると云う。 後世、護符の一種として蘇民将来子孫と記した札を門戸に貼る風習のあるのは、この 遺意に出るとする。 疫神祭の故例は、宝亀元年(770)光仁天皇のとき疫神を京の四隅に、また畿内キダイの 堺に祀ったこと、貞観十一年(869)清和天皇のときには疫病退散のため神泉苑において 御霊会を行ったことがあり、祇園御霊会の他にも、紫野今宮祭と石清水八幡宮の疫神堂 の疫神祭が同じ趣旨のものである。