[詳細探訪]
 
                      参考:小学館発行「万有百科大事典」
 
〈権現信仰ゴンゲンシンコウ〉
 権現とは仏教から起こった思想であるが、わが国においては、神々に対する特殊な神
号として発達した。永遠の実在である仏や菩薩(本地ホンジ)が、あらゆる生物を救済す
るため、姿を変えて権カリにこの世に現れる(垂迹スイジャク)と云う意味である。『法華経
』には、本地として釈迦如来、仮に現れた姿としてインドに生まれ、仏教の開祖となっ
た釈迦に挙げる例もある。中国においては、儒教の孔子やその弟子願回ガンカイ、それに老
子の三人を菩薩などの仮に現れた姿と説く事例もある。
 
 六世紀半ば、わが国に仏教が渡来し、奈良時代になると仏教と神道との習合が行われ
る。その一つの傾向として本地、垂迹の思想を仏とわが国の神々との間に用いるように
なった。この傾向を生んだ理由は、当時庶民に信仰のあった神々を仏の垂迹として関係
付け、仏教興隆を企てようとしたことにあろう。例えば『太神宮参詣記』に「・・・・・・仏
法独ヒトリたゝず、偏ヒトエに神道の助によるものなり」とある。
 権現信仰が文献上最初に見られるのは、平安時代初期貞観八年(866)天台宗系の僧恵
亮の上奏文や、承平七年(937)の太宰府牒の中の僧兼祐の文で、平安中期以後鎌倉時代
にかけて多くの例証を見ることが出来る。著名な書物に現れているものとして、熊野権
現(『百練抄』『長寛勘文』『今昔物語』『平家物語』など)、箱根権現(『吾妻鏡』
)も春日神社(『春日権現験記』)、石清水八幡(『二十二社注式』)などがある。
 
 その他権現の神号で呼ばれている有名なものは、蔵王ザオウ、熱田、白山、伊豆山イズ
サン、大比叡オオヒエイ、小比叡、山王、三島などである。以上の例を見ても分かるように、山
岳の神々が権現と称される事が多いが、これは山岳修行者に仏教信者が多かったことと
無関係ではない。
 近世に入ると、権現信仰として最も有名なものは、徳川家康を祀った日光東照宮であ
る。家康は死後、両部習合神道の神様として権現と云う称号を許され、江戸時代に東照
大権現と言えば家康のことを意味した。
 しかし明治維新以後、政府は神仏習合を禁止し、権現を神号とすることも禁じたが、今
日でも権現様という通称は使われている。
 
〈権化ゴンゲ〉
 権化とは、仏教及びインド思想の術語である。サンスクリットのアバターラavataraの
訳で、権は「仮に」、化は「変化」の意。インド思想、特にヒンズー教では、神が人々
の願いによって、様々に姿を変え、仮にある姿をとってこの地上に現れ、それによって
迷えるもの、悲しむものなどを、適切に教え、導き、救う、と考えられた。これは、そ
の聖典『バガバッド・ギーター』などに見られるように、特にビシュヌVisnu神が、御者
や牧童のクリシュナKrsnaの姿となって現れて人々を救う、と云う話が最も名高く、後代
には、ガネーシャのように半獣半人の形をとるもの、その他が現れる。
 
 これが仏教にも採り入れられ、特に大乗仏教では、肉身のゴータマ・ブッダ(釈迦)に
対して、悟りそのものである法身ホッシンのブッダを考え、その法身が、衆生シュジョウのあり
方に応じて、仮に様々の姿をとった現れる、即ち応身とか化身とかと云う考えが信仰さ
れた。この考えを導き出したのが、ボサツ(bodhisattva 菩薩)思想である。
 即ち、一切の衆生を救うと云う理念の下に活躍する観世音カンゼオン菩薩(観音カンノン)が
有名であるが、それは衆生がこの菩薩の名を唱えると、この世間の音を感じ取って、す
ぐにその衆生を救済し、その願いを叶える、とされた。その他、知恵を代表する文殊モン
ジュ菩薩、意志と実行を象徴する普賢フゲン菩薩、知恵と慈悲の勢至セイシ菩薩、無限の知性
を象徴する虚空蔵コクゾウ菩薩、大地の根源を意味する地蔵ジゾウ菩薩など、全てブッダの
徳の権化である。
 
 わが国ではその民俗信仰の神と、仏教とが混じり合って、平安時代から行われた本地
垂迹ホンジスイジャク説によって考えられたものに権現があり、後、次第に一般化し、神道思
想によって神社に祀る祭神は、仏格を有するものとして権現と呼ばれた。天照大神は大
日如来、八幡大神は観世音菩薩の権現(垂迹)と考えられ、信仰された。
 また源為朝が八幡大菩薩、徳川家康が東照大権現とされたなどの例がある。何れにせ
よ、神仏混交の所産で、石清水イワシミズ、春日、清滝キヨタキ、熊野、金比羅、日光、日吉ヒエ
などの神号は全て権現の名を持っている。
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