8月19日、20日の花輪ばやしが終わると中秋の名月まで、秋の気配が夜毎に深まる花 輪の町通りが篝火を囲みながら踊りの輪が繰り広げられ、町踊りの伝承と保存が行われ ている。三味線、太鼓の囃子ハヤシと唄につれての洗練された踊りの所作は、足の運びは男 舞で、振りは手数が多くテンポも軽快で、優雅な手振りは緩急カンキュウの変化に富み、いな せな江戸情緒を伝えている。 伝承曲は甚句、花輪よされ、おやまこ、花輪よしこの、塩釜、毛馬内よしこの、ぎん じがい、あいやぶし、おいと、どっこいしょ、豊年万作、ちょうしの12曲で、ぎんじが いは笛だけで踊り、豊年万作には舞扇を用いる。この他、かいな、新潟があったが、今 は踊られていない。 衣裳は浴衣(町内、グループごとに揃いの柄ガラ)または単衣で、男は角帯、女は夏帯 を着け、白足袋、草履履きが標準であるが、特定されたものではない。[文化財]
正安ショウアン2年(1300)、当時の松館館主が北野天満宮から勧請した天満自在綱乗天満 宮の神楽カグラとして舞い続けてきたといわれる。別当の死亡等により一時中断したが、 昭和12年頃、氏子有志と尾去オサリの八幡神社別当の尽力によって再び行われるようになっ た。 この舞は4月25日の松舘菅原神社(天満宮)例大祭の際、神社の社殿内、境内及び宿 元(別当宅)で行われる。当日は、氏子12人が宿元に集まり、祭壇を設け、権現を祀り、 米、餅、五穀、山海の珍味7種と御神酒を供え、神事の後、行列を組み、渡御トギョの曲 で天満宮に向かう。社殿内の神事が終わってから神楽を始める。 境内に2間(360p)四方の注連縄シメナワを廻らし、大釜に湯を沸かし、その前に菰コモを 敷いて舞床(舞台)にする。舞人は烏帽子エボシに白装束、白足袋に草履で、楽人は烏帽 子に白装束である。 神楽は、次の順に奉納される。 @地舞 舞床を固める。 A御幣舞 舞床を祓い浄める。 B襷タスキ舞 青柳舞ともいい、襷をかけて静かに舞う。 C扇舞 襷のまま扇を持って舞う。 D榊サカキ舞 榊の枝に御幣をつけて舞う。 E剣舞 長烏帽子を着け抜刀して舞う。 F権現舞 尻取手が竜尾を打ち、御神唄を奉唱して舞う。 8御湯立 曲は御湯立になり、舞人は1人で、九字を切り、御幣を持って舞った後、藁 束ワラタバを熱湯に入れ、右から左へ3度かき廻し、渦巻で作況を占う。次に笹の葉の束 を入れ舞人が三度かぶり、その後に参詣者に三度振りかける。[文化財]
この芸能は、近世に高屋館タカヤダテに入部した佐藤近江が三河(愛知県)から移住した 折、保持してきたと伝えられ、毎年旧盆の頃、集落の氏神である稲荷神社に豊作を祈っ て奉納されてきた。戦後途絶えて消滅寸前であったが、昭和45年に古老たちの指導によ り復活され、以後4月19日に奉納されるようになった。踊りは勇壮、かつ賑やかで、服 装は華麗である。 この駒踊りの構成は、@街道渡り、A棒使い、Bつがい駒、C奴舞ヤッコマイ(ザイ)、D 奴舞(奥山)、奴舞(扇)、F駒舞(ゴエゴシ)、G奴舞(扇)である。 頭家(当講トッコの当番)に集合して衣裳を整え、高張提灯2基が先頭に立ち、棒使い2 名、笛、かつぎ太鼓、打太鼓、駒6騎、奴舞の順に舞ながら街道を行進して、奉納先の 稲荷神社に至る。この芸能の特徴は、奴舞が婦人たちによって演じられること、また、 奴舞(奥山)に歌詞がついていることである。 [詳細探訪・画像表示][文化財]
春の彼岸に祖先の霊を迎え送り、祖霊ソレイを慰める行事が、オジナオバナである。 小豆沢のオジナオバナは、彼岸の入り、中日チュウニチ、終シマイ彼岸と三回にわたり行われ る。 場所は墓地、田圃などであるが、終彼岸の日は五の宮嶽の中腹の薬師神社の嶺づたい に、平年は12ケ所、閏年ウルウドシは13ケ所に火を灯す。上の方から陰暦で1月、2月と数 え、その月の火の燃え方で天候の善し悪しや作物の豊凶ホウキョウを占う予兆ヨチョウとした。 当日、藁ワラや粟幹アワガラ、豆幹などを背負って山へ行き、燃えやすいように準備し、彼 岸団子を食べながら日暮れを待ち、合図によって一斉に火を付ける。 その火の燃える間「オ爺な、オ婆な、明かりの宵に、だんご背負って、行っとらえ、 行っとらえ」と唱え、カシビ(葡萄ブドウの皮を縒ョって松明タイマツ状にしたもの)の明か りで足元を照らしながら下山する時も同様に唱えられる。 [地図上の位置→(薬師神社)][文化財]
宮野平のオジナオバナも彼岸の入り、中日、終シメの3回行われていたが、昭和30年代 に中断、58年に復活したが、現在は中日だけ行われている。なお、当時はオジノバナと いわれていた。 この日、夕方になると藁ワラや麻幹オガラ、小屋掛の材料を持って近くの田圃に集まり、 藁小屋を作り、午後8時頃になると小屋に点火し、火の手があがると、子供達は小屋を 取り囲んで、大声で次のように唱える。 彼岸の入り:「オジノバァー、明かりの宵に、団子背負って、来とらえー来とらえー」 中 日 :「オジノバァー、明かりの宵に、団子背負って、見とらえー見とらえー」 終彼岸 :「オジノバァー、明かりの宵に、団子背負って、行っとらえー行っとらえ ー」[文化財]
鹿角地方にはかつて、金や銅を掘っていた大小の鉱山が多数あった。 からめ節金山踊りは尾去沢鉱山に働いた坑夫や手選婦の仕事の中から生まれた素朴な 作業唄と踊りの芸能である。なお、からめとは良い鉱石を細かく打ち砕き、笊ザルで水洗 いし、箔ハク(精選した鉱石)を採取する、人の手による選鉱作業のことである。この作 業は女の仕事であった。 唄は活気に満ちた鉱山の様子をうたい、踊りは女が槌ツチと笊で選鉱作業の様子を踊る。 踊りの衣裳は、ハンテンを着て、タスキをかけ、モンペを履き、前掛をする。頭には 手拭テヌグイであねさん被カブりをする。囃子ハヤシは三味線、小太鼓、鉦カネからなる。 毎年5月14日、15日、鉱山の守り神である山神社祭典で奉納踊りが行われる。 [詳細探訪・画像表示][文化財] 両社山神社
古老の伝えによると、初め兄川(岩手県二戸郡安代町)から始まった先祓舞が兄畑( 同)に伝わり、湯瀬には大正14年に伝授されたものだといわれる。 このこ芸能は、湯瀬神明社例祭の7月15日、16日に行われ、15日の宵宮ヨミヤ・ヨイミヤには 太鼓、笛と鉦カネの囃子ハヤシを奏して境内で行われ、16日の本祭には神輿渡御ミコシトギョの先 祓いとして集落内を巡行し、路上で舞われる。演目は12あり、舞は先祓舞、後祓舞の他 に穀物の作付から虫除け、収穫などを表現する他、無病息災や火伏せなどの祈りをこめ て構成されている。後祓舞があるのは湯瀬だけで、他の地域にはみられない。 舞い手の衣装は、袖に鈴を付けた肌着、襦袢ジュバン、手甲テッコウ・テッカ、脚絆キャハンできら びやかに着飾り、手の刀を持つ。 ※鹿角市内八幡平旧宮川ミヤカワ地区には先祓舞といわれるものが、神社の祭礼に行われて いる。先祓舞は神輿の先導にあたり、祓いをしていくとの意で、男が華やかな服装をし て太鼓、笛、鉦カネの拍子に合わせて行列し、神社境内、氏子区域各所に神輿の移動に伴 って舞われていく。 兄川舞と別称されているのは、岩手県二戸郡安代町兄川稲荷神社の祭礼に伝わる舞が 導入されたという伝えがあり、二戸郡では兄川舞の名称が普及してとることが影響して いる。 この舞は天孫降臨テンソンコウリンの折りに、猿田彦サルタヒコが道案内のために部下を集めて、剣 と剣をぶっつけながら、悪魔を払って道を切り開いたという、故事に倣ナラった舞である と伝えられる。舞の演目は12からなる。秋田県内では、この先祓舞のような芸能は他で は見あたらず、鹿角の特色的な舞といわれる。[文化財]
この舞は江戸時代中期に現在の安代町(岩手県二戸郡)兄川稲荷神社から伝えられた といわれており、兄川舞ともいわれる。明治20頃から中断し、古老たちが酒席で昔を偲 シノぶ程度であったが、昭和22年再び兄川から舞人、太鼓、笛の指導者を招き、復活した。 この芸能は、8月15日、16日の天照皇御祖神社の例祭に行われ、15日の宵宮ヨミヤには神 社から御旅所まで、16日の本祭には神社境内で舞われた後、御旅所から集落内を巡行し て神社まで、神輿ミコシ渡御トギョの先祓いとして舞われる。 演目は12、このうち「きねとり舞」は若者のみで行われ、そのほかは小中学生男子に よって舞われる。舞い手は、女物の肌着ハダギ、襷タスキ、腰帯、鉢巻、白足袋に草鞋ワラジ で華やかに着飾り、襷に日の丸扇をさし、飾りの棒を持って踊る。 [詳細探訪・画像表示][文化財]
明治5年、集落の鎮守チンジュが尾沙門堂ビシャモンドウから八幡神社に改められたことに伴 い、祭に賑わいを求めて、明治20年に若者たちが老名オトナたちと諮ハカって、安代町(岩手 県二戸郡)兄川稲荷神社に伝わる先祓舞を習得導入したもので、兄川舞ともいわれてい る。 八幡神社の例祭は、戦前は旧暦6月15日、第二次世界大戦後は新暦7月15日に行われ ていたが、現在は7月第3日曜日が本祭、その前日が宵宮ヨミヤとしている。 宵宮には神社から宿元まで神輿渡御の先祓いとして舞い、本祭では集落内を巡行し、 境内の広場でも舞う。 演目は、@五ツ打ち、A二ツ打ち、B拝むの、C拝まないの、Dしゃれしゃれ、Eじ ゃんじゃんじゃっきん、Fしささい、Gとかとか、Hまえことり、Iたち車、Jきねと り舞、K下ぶっけ、の12節であるが、大別すると棒舞、刀舞、扇舞、きね舞の4種が基 本である。[文化財]
岩手県安代町の兄川稲荷神社から伝えられたといわれ、アニガマイ、アニガオドリと もいわれる。昭和20年頃一時中断したが、同54年に古老たちの指導により、復元された。 赤平稲荷神社の例祭である8月15日、神輿渡御に先だって、神社境内で「二ツ打ち」 が演じられる。渡御が始まると「五ツ打ち」が舞われ、続いて神輿は別当宅、御旅所の 台座に安置され、その前で「れーろ」以下の舞12種が演じられる。 笛、太鼓、手平鉦テビラガネの囃子ハヤシにあわせて演じられる舞はは、賑やかでテンポが 早く、手数テカズも多く軽快であり、近隣集落の先祓舞のなかでも最も原形を保っている といわれている。小憩の後、赤平、蛇沢ヘビサワ、熊沢クマザワの3集落を巡回して、再び別 当宅、次いで神社へと戻り、奉納を終える。[文化財]