13専正寺 鹿角市花輪字寺ノ後一六
 
寶珠山専正寺 真宗西派
本 尊 阿弥陀如来
由 緒 京都西本願寺末、開山は教順。

 即ち専正寺は案内板によると、「ご本尊を阿弥陀如来とする当山の開基はは信州高井
郡の城主井上味兵衛専公(即性院殿生了謙徳大居士)で、伊勢国司北畠大納言の幕下に
属し八万石を食む。織田信長の為亡されるや、父は討ち死にし母は病没す。専正は濁世
に無常を感じ又、父母菩提のため、京都本願寺十一代顕如上人に御対面を願い、意趣を
奏聞したもうに、御上人弥陀の本願を手に取る如く御教化あらせられ、専正千聞一悟怱
ちに他力囁生の旨趣を定得し、凡夫直入の真心を決定して出家、得慶法名を教順と賜う。
更に顕如上人より親鸞聖人の御染筆、金紙金泥六家名号を開基佛として御下付、御絵伝、
父専忠所持粟田口吉水の短刀等と共に寺宝である。又、俗性 専正を寺号と称すべく許
容をいただき、有縁の地奥狭布の里現在地に一宇創建、時に天正十七年(1589)なり、
宝永二年(1705)に焼失し境内面積千四百坪の中にある十間四面現本堂は、宝永三年第
四世泰樹院(智道法師)の代に、八正寺林を伐採欅(無釘)をもって再建されたもので
ある。又、山門は花輪代官所の門(総欅)を移設したものである。……」
 専正寺の喚鐘は元文三年(1738)に田中久兵衛尉藤原久長が製作したもので、戦時中
一端摂取されたものの、戦後還され鹿角市指定有形文化財になっている。
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[文化財 「YU10003 親鸞上人御絵伝」] 「YU10016 専正寺喚鐘」]
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