05恩徳寺 鹿角市花輪字上花輪一一
阿伽井趾山(赤石山)恩徳寺 曹洞宗大源派
由 緒 寛永六年の創立、開山は長福寺三世龍印本族(族冠+鳥)である。
明和四年(1767)鹿角三十三番観音霊場第七番札所。
地蔵庵(三ツ矢沢) 恩徳寺末 寛永八年十月創建。
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参考(出典):花輪まちづかいサポーター資料
赤石山恩徳寺
本尊 釈迦牟尼仏
古本尊 阿弥陀三尊仏
開創 寛永二年(一六二五)
開山 長福寺三世龍印本族(族冠+鳥)大和尚(長福寺末)
開基 中山的公大禅定門
「寺伝」
寛永二年(一六二五)長福寺三世龍印本族(族冠+鳥)大和尚を勧請して開創さ
れたが、その前身は山号に見られるように、石鳥谷村赤石山腹に建立された”恩徳
庵”を引き継いだものと伝える。
この庵は、源平の合戦で戦場の露と消えた主君のために、屋島の修羅場で拾った
阿弥陀三尊を持ち帰った従者が、主君の恩徳に報いる一念で”恩徳庵”として建立
したものと伝えられている。
ただ、開基として「中山的公大禅定門」の戒名が伝えられているものの、比定す
べき人物が不明なことから、この庵寺の実態や現在地への移転の経緯などつまびら
かでない。
しかし、寛永二年の開創が現在地への移転とすれば、この時代は花輪大光寺氏の
支配であり、同氏の菩提寺である長福寺が本寺になっていることから推して、徳川
体制下で世情が落ち着いてきたことから、大光寺氏が花輪町づくりの一環として赤
石山からこの地に移したものと考えられる。いずれにしても草創の因縁が、八〇〇
年の歳月を経た今日まで、脈々として受け継がれていることは尊い事である。
「寺宝」
秋田県指定文化財である阿弥陀三尊仏は、八七センチの阿弥陀如来、四八センチ
で腰をかがめ蓮台を捧げる観世音菩薩、五〇センチで同じく腰をかがめ合掌してい
る勢至菩薩の、いずれも立像。檜材寄木漆箔で信者を極楽に迎える来迎の相である。
その由来は源平の合戦にまでさかのぼる。兄頼朝を助け平家追討に立ち上がった
平泉在住の源義経が出陣に当って奥州五十四郡、出羽十二郡から募った兵士の中に
花輪次郎行房があった。四国転戦の中で討ち死にし主君の供養にとうち捨てられら
れていた仏像を赤石の恩徳庵に祭ったものが始まりとされる。
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[画像表示] [碑文]
[文化財 「YU10007 木像阿弥陀三尊」]]
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