尾去沢大森親山獅子大権現御伝記
 
              参考:尾去沢下タ沢会相馬茂夫記「下タ沢会によせて」
 
抑奥州南部鹿角郡尾去村の奥に大森と申す山あり。
大木古木生茂り交へ岩石峨々として近郷四方に嵩へ、東は水晶山に連り尾去村西道口
に走り、西は三四森より田郡、長坂、一の坂に連り三つ矢沢に走り、北は五拾枚巌累湧
上より張場山西道に連り土深井沢尻三つ矢沢に跨り、下タ沢、勢沢に走り、南は水晶山
沼の台に連り松舘村且つ吉沢に走り、近郷一の親山なり。
 
然るに往古、文明十三年(1481)此の山より夜な夜な光る物現れ出で近郷近在を飛び
廻り、民百姓を恐れしめ児女童子は夜行する事あたわず。昼は大鳥と顕れ出で左右の翼
十余尋の鳥と顕れ、人を取り食はん勢なり。口より金色の火炎の如きを吹き出しその声
牛の吠えるが如く山谷に響き山も崩るゝ如くなり。近郷諸人恐れて安き心もなし。敢へ
て人を取るにもあらねど、近郷の田畑を荒し夜な夜な飛行の光に逢ふ時は何となく身の
毛もよ立って淋しき事限りなし。是によって尾去村の人々先祖慈顕院を初め村中残らず
毎夜毎夜天に向って一心に祈りて曰、南無や日天子月天子、哀れ此の大鳥を亡ぼして諸
人の安堵を得せしめ給ひと多日誠心をこらして祈りけるに、或時大森の方に当って化鳥
泣叫び苦しみ悲しむ声聞ゆ。是より化鳥の飛行絶えてなし。
 
諸人不思議に思ひをなし、その泣き声しける方を尋ね巡りむけるに、春木沢次の沢の
赤沢川の流れ常に替り、水色朱を流せし如く也。此の流れを知るべく尋ね登りしに、黒
滝の彼の化鳥朱になってうつぶし死してあり。諸人此れを引起し、こわごわながら是を
見るに、左右の翼十三尋頭は大蛇の如く、足は牛の如く毛は赤く白くまだらにしてとこ
ろところ金毛銀毛也。背中首筋に数ケ所の大疵あり、腹の肉を引割り臓腑を開いて見る
に、胃中に穀食魚虫鳥草木の一物もなし。只金銀銅鉱色の石充満せり。尾去村の長つく
つく思いけるは、我近年夢中に白髪の翁来りて我に新山を開けと告ぐる事六度に及べ共、
何処の山を開きて宜しきや未だその処を知らず空しく過ぎ行きしが、今此化鳥の胃中に
金銀銅鉱石を顕せしは正しく此の山々にある処を神霊の示顕し給ふならん、と山々処々
掘り穿ちて見るに、案に違はず四色の金石充満せり。これに依って田郡、横合(元山の
こと)、赤沢、西道、崎山、勢沢、下タ沢等に至る迄大森の走りにて子山なり、大森は親
山なるを以て此の山々沢々をば総名を尾去沢と名づけしなり、これ御銅山の始にて大森
山一帯を元山と称すなり。
 
扨又彼の里人共、化鳥の体中に疵あるを以て怪しみ、如何なる人か神の所為ならんと、
山々谷々尋ね巡りしに、大森の麓に当りて獅子頭の如き大石地中より生へ出で、略口と
覚しき所に血は沢山に付き居りしかば、此神石の為し給ふ処為ならん。さるにても此処
に此獅子頭の地中より出給ひしは、此の山は御獅子の体走りの山々は此御獅子の手足尾
なるらんとて、此処に一社を建立し、且彼の化鳥をも此処に納め埋奉り、勧請安置して、
大森山獅子大権現と祝し奉る也。
 
扨又彼の尾去村の長が夢中に翁来て、新山を開け開けと度々示現是ありたるを以而、
新山獅子大権現又大森山は親山なるを以而、親山大権現とも祝し奉り、分身一体の御神
にて本地は徳大勢至菩薩阿修羅身と現し、仮に戦ふ体をなせども実は両薩合体して此山
に金ある事を告げ知らしめ給ふもの也。
 
扨彼の化鳥の大に泣叫びし夜は九月二十三日の夜なりしかば、且つ勢至菩薩の御託宣
あるを以て、二十三日を御縁日と定め祭礼ありし也。御山内田郡、横合、長坂、西道、
赤沢にて二十三日夜の御日待を祭るは此因縁に依て也。扨彼化鳥の血しほ流れて川水赤
くなりしにより、此処を初めて赤沢と名付しものなり。
           安永七年四月
            当院二十四代目権太僧都
             阿遮羅山慈顕院歓秀 敬白
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