04 森林の思考・砂漠の思考〈氷河時代の様相〉
 
             参考:日本放送出版協会発行「森林の思考・砂漠の思考」
 
△人類と氷河時代
 氷河時代と云うのは,人類の発生以降だけでも,少なくとも六回は繰り返して出現し
た寒冷の時代ですが,それは,決して,地球の上がすっぽりと氷河に覆われてしまった
時代ではありません。ヨーロッパの北西部と,北アメリカの北部に氷が拡がっただけで,
地球上の圧倒的に部分は氷がなく,草木が生えていました。それどころか,現在と比べ
ますと,砂漠は少なく,森林も少なく,草原の拡大した時代であって,その面積的意義
から云えば,草原時代と云ってもよい。もし,科学がヨーロッパやアメリカで先行して
いなかったなら,この時代は,草原時代と名付けられていたかも知れません。また同じ
ように,氷河時代を,何か恐ろしい時代と考えることもヨーロッパ人とアメリカ人の考
え方をそのまま受け継いでいるだけであって,砂漠が草原になったような処では,確実
に,幸福な時代なのです。気温が下がり,湿気も減ってジャングルが後退した処でも同
様でしょう。面積的にはそう云う処の方が大きいと云うことから,氷河時代とは,人類
全体として見ますと快適な時代であったと考えることが出来ます。
 
 氷河時代とは,それに突入することによって抑ソモソも人類が形成されたものであり,六
回のうちの最後のヴュルム氷期は,それを通過することによって,ホモ サピエンス内の
人種差が形成されたものであって,氷河時代とは,そう云う意味においても,その到来
を,人類が恐れるとか恐れないとか云うことを越えた大きさを持つ現象なのです。
 ここでは,最後のヴュルム氷期のとき,砂漠がどうなったかについて見てみましょう。
 
△緑のサハラ砂漠
 最後の氷河時代であるヴュルム氷期は,今から七万年程前に始まり,一万年前に終了
した寒冷な時期であり,世界各地で若干の差はありますが,およそ10度前後,気温が低
かった時代です。最後の氷期は,その前の氷期程は寒冷でなかったが,ヨーロッパ北西
部と北アメリカ北部は,厚い大陸氷に覆われました。
 このとき,他の地域に起こった目を見張る現象があります。それがサハラ砂漠の消滅,
即ち緑化です。これは,「緑のサハラ」と呼ばれています。「サハラ」とは不毛の地と
云う意味の言葉ですから,形容矛盾なのですが,あまり顕著な現象なので,完全な学術
用語と云う程でもありませんが,よく用いられています。
 
 それでは,氷河時代に,どうしてサハラ砂漠が消滅したのでしょうか。前節で砂漠の
成因を見ましたが,それに拠りますと,気温低下による蒸発の減少と云うことも考えら
れます。事実それによって出来た湖もアフリカにはあります。また,蒸発量の減少と云
うことは地球上全体に当てはまりますので,サハラ砂漠の消滅にもそれが関係している
ことは間違いありません。
 
 しかし,ヴュルム氷期だけでなく,全ての氷期を通して,砂漠の消滅した回数を地理
的に調べて見ますと,サハラの北部では六回,サハラの南部では一回だけであったこと
が分かります。北部の六回は,ヨーロッパの六回の氷期に時期的に対応しています。も
し,気温の低下が砂漠消滅の主因であるとしますと,サハラ南部でも同じように六回な
ければならないことになります。従って,砂漠を消滅させたのは,蒸発量の減少と云う
ことよりは,雨を降らせる方に原因があると云うことになります。そして,サハラの辺
りでは,雨を降らせる原因とは前線帯なのでしたから,前線帯が,サハラ砂漠の中まで
侵入して行ったと云うことが一義的に結論されます。
 
 現在,サハラは,二つの前線帯の活動範囲の外にあって,乾燥しています。北側の前
線帯を寒帯前線,南側の前線帯を北熱帯収束帯(NITC)と云いますが,ヴュルム氷河の
少なくともある時期には,寒帯前線は更に南下し,NITCは更に北上して雨を降らせ,砂
漠は,両側から狭められて消滅しました。気温が低かったので,寒帯前線の降らしたの
は雪であった可能性が大きい。
 寒帯前線は,氷期毎に南下してサハラの北半の砂漠を消滅させましたが,NITCはヴュ
ルム氷期の時だけ北上したのは何故かと云う問題は,他の書物に譲るとして,NITCが北
上したと云うことは,赤道西風が北上したと云うことと同義です。緑のサハラは,狩猟
する旧石器時代人の活躍の場でした。

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