第五 禁闕守護三十番神
初十日伊勢国 伊勢
十一日山城国男山 石清水
十二日山城国下上 賀茂
十三日同国 松尾
十四日山城国 大原野
十五日大和 春日
十六日山城 平野
十七日近江 大比叡
十八日近江 小比叡
十九日近江 聖真子
二十日近江 客人
廿一日近江 八王子
廿二日山城 稲荷
廿三日摂津 住吉
廿四日山城 祇園
廿五日山城 赤山
廿六日近江 健部
廿七日近江 三上
廿八日近江 兵主
廿九日近江 苗荷
卅日備中 吉備津
初一日尾張 熱田
初二日信濃 諏訪上下
初三日摂津 広田
初四日越前 気比
初五日近江 気多
初六日常陸 鹿島
初七日山城 北野
初八日山城 大原江文
初九日山城 貴布禰
(第五 三十番神、又拾芥抄諸社部ニ見ユ、標シテ三十神名と云フ)
閏月、備之前中後之三吉備津、一旬充守護之、但補毎年六日之闕云爾、当日当番中、
当神不企参詣、神不在焉也、是故強不秘之云々、
此外番神有二種、一曰、伝教大師与桓武皇帝、草創日枝山之時、誓約于神、而逐日令
鎮府五神守護所依経云爾、因之号為法華三十番神、番者直日番也、二曰、慈覚大師於
楞厳峰杉洞、如法経始行之時、毎日有化現之瑞、号又曰番神云々、
△第六 法華守護三十番神
大比叡(毎月自朔日至六日守護之)
小比叡(自七日至十二日守護之)
聖真子(自十三日至十八日守護之)
客人(自十九日至廿四日守護之)
八王子(自廿五日至晦日守護之)
右件五神、山門鎮護霊神也、因茲令五神守護此経云々、閏月者為諸末社之役云、
△第七 如法経守護三十番神
初一日伊勢
初二日石清水
初三日賀茂
初四日松尾
初五日平野
初六日稲荷
初七日春日
初八日大比叡
初九日小比叡
初十日聖真子
十一日客人
十二日八王子
十三日大原野
十四日大神
十五日石上
十六日大倭
十七日広瀬
十八日龍田
十九日住吉
廿日鹿島
廿一日赤山
廿二日健部
廿三日三上
廿四日兵主
廿五日苗荷
廿六日吉備津
廿七日熱田
廿八日諏訪
廿九日広田
卅日気比
凡人以禁闕守護番神為法華守護、又以法華守護為如法経守護、此段曽无蹤跡、抑慈覚
大師者、貞観六年甲申正月十四日入滅、是後経数年垂跡神多、
如此番神中於祇園社者、貞観十八年丙申始勧請之、北野天神者、延喜三年癸亥二月廿
五日、於太宰府薨、慈覚大師入寂之後経四十年也、
然天暦元年丁未六月九日、影向於右近馬場、是故改建祠堂於彼地、奉授神号、謂北野
天満天神、貞観六年以降経八十余年星霜者也、
自彼分此、自此分彼、証迹知之、慎而莫怠矣、口訣亦多(以上全文又見諸社根元記)
〔類聚名物考 神祇十〕三十番神
近代法華宗日蓮の派にて此名見ゆ、もとは比叡山如法経の守護神の三十番神を私に我
物として、日本国の諸神、法華をもて勧請せざるは、悉く天上したまふなど日蓮の書に
有よし、禁断日蓮義十巻に云、日蓮の時代に三十番神を勧請したる事はなし、今も関東
の日蓮宗の寺には多分番神を勧請せず、京都に於て日蓮滅後に、日蓮党談合して三十番
神を立と見えたり、いはんや如法経と云は、慈覚大師の御所行なり、然るに日蓮深く慈
覚大師を誹謗し、然も如法経守護の番神を取て己が宗の鎮守とする事、豈盗たるにあら
ずやとも見えたり、又案に今此番神問答といふ書を得て見るに、卜部兼倶以下日蓮宗の
僧徒との問答あり、委しくは事長ければ此に記さず、其書を見て知べし、
〔保元物語 一〕新院御謀反露顕并調伏附内府実能意見事
吾国辺地粟散ノ界トイヘドモ、神国タルニ依テ、総ジテ七千余座の神、殊ニハ三十番
神朝家ヲ守リ奉リ給フ、
〔戴恩記〕菅丞相(道真公)
百千の雷となり、(中略)御殿さくるばかりになりさがりし時、御門(醍醐帝)大に
さわがせたまひ、今日の番神は、いかなる神にておはするぞと、貞信公(藤原忠平)に
とはせたまへば、御はかしのつかがしらに白狐の現じたまふを見て、御心安くおぼしめ
されぬ、稲荷の大明神の御番にておはすと答へたまひければ、程なく神もなりやませた
まひ、雨もはれ侍しとなり、
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