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〈宣命〉
 
                 参考:吉川弘文館刊行「国史大系『政事要略』」
 
天皇加詔旨良万止宣大命乎。親王諸王諸臣百官人等天下公民聞食止宣。朕即位之初。左
大臣藤原朝臣等。奉前太上皇之詔天。相共輔導シ天。朝政乎取持奉古止。于今五箇年爾
成奴。而右大臣菅原朝臣寒門与利俄爾大臣上収給利。而不知止足之分。有専権之心。以
佞蹈(言扁の蹈)之情欺惑前上皇之御意。然乎恐慎上皇之御情天万奉行。无敢恕御情天。
欲行廃立離間父子之慈淑皮兄弟愛。詞者辞比順者之天心者逆。是皆天下所知奈利。不且
(冖冠+且)居大臣之位。頁(三水扁+頁)法律乃任爾罪奈倍給不倍之。然而殊為有所
念奈牟。停大臣之官。大宰権帥爾罷給不。又右大臣爾者大納言源(光)朝臣乎任給不。
是則為安宗廟社稷。以大穀奉脩。茲衆聞食止宣。昌泰四年辛酉正月廿五日。』
 
(関連人事)
三河掾大春日晴蔭右大史。遠江権掾勝諸明。駿河権介菅原景行式部丞。飛騨権掾菅原景
茂右衛門尉。能登権掾源厳。但馬権守源敏相□□。伯耆権目山口高利右馬属。出雲権守
源善□□□。美作守和薬貞世少納言。長門権掾良岑貞成。阿波権守源兼則。前摂津守。
土佐介菅原高視大学頭。昌泰四年正月廿七日左降除目。
 
 
〈参考〉
                     参考:学習研究社発行「天神菅原道真」
 
△宣命
 宣命とは、天皇が声に出して和文体の詔ミコトノリを読み上げるものである。即ち宣命は宣
命体で書かれる。宣命体とは、漢字の音訓を借り、国語の語格のまま記した上代文の一
体である。
 このときの宣命の内容は、次のようなものである。
 
 右大臣菅原道真は身分の低い家柄でありながら、にわかに右大臣に昇り、止足シソク(自
らの止まるべきところ)をわきまえずに専横の野心を抱き、術策を弄して太上ダイジョウ天
皇を惑わし、廃帝を唆ソソノカして父子の離反を謀った。これは娘を嫁がせた斉世トキヨ親王を
擁立して、自らが政事マツリゴトの実権を掌握しようとの野望に他ならない。義を唱える道
真の穏やかな言葉のかげには邪心が隠されている。このような者を大臣にとどめおくこ
とはできない。裁きによって罪を負わせるべきところではあるが、天皇の大いなる温情
によって罪とはせず、大臣の位を剥奪し太宰権帥ダザイノゴンノソチに任じて赴任させる。後
任の右大臣には大納言源光をもって任じる。
 
△因みに「義」とは
 「儒者として、義というものをどのようにお考えか」
との橘広相の問いに、菅原道真は次のように答えた。
 「義とは奥の深い言葉でございます。『論語』の『里仁篇リジンヘン』に曰イワく。『君子
は義に喩サトり、小人ショウジンは利に喩る』と申しますからには、義は利と対立する言葉で
ございましょう。良房や基経のごときはひたすら利を追い求めております。民の利、国
の利を求めるのはよろしゅうございますが、臣が己れの利を求めれば国は必ず滅びます。
臣もまた人の子でございますれば、寝食は必要でございます。働きに応じた利を求める
ことは許されるでしょう。されどもそこには自ずと限界がございます。それが義である
と申せましょう。義を超えて利を求めてはならぬのでございます。臣が己れの利を求め
て、民の利、国の利を損なうことがあれば、まさに言語道断でございます。されば義と
はすなわち、民の利、国の利と申せましょうが、その根本には、法があり、人倫ヒトノミチが
ございます。これを説くのが儒者の務めではありますまいか」と。
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