84 菅家文草〈雲林院に扈従して感歎に堪へず、聊か観る所を叙ぶるの序〉
 
                参考:太宰府天満宮文化研究所発行「菅家の文華」
 
〈雲林院に扈従コジュウして感歎に堪へず、聊か観る所を叙ぶるの序〉
 雲林韻は昔の離宮なり。今、仏地となる。聖王玄覧の次ツイデに、功徳クドクを為したま
ふ。侍臣五六輩、風流フリュウを翫びて随喜し、院王一両僧、苔癬タイセンを掃ひて恭敬クギョウ
す。供物グブ物なし、ただ花の色と鳥の声とのみ。拝謝誠あり、ただ至心と稽首ケイシュと
のみ。
 予もまた嘗って故老に聞く。曰く、「上陽の子ネの日、野遊して老を厭ハラふ。その事い
かん。その儀いかんといへば、松樹に倚りて腰を摩するは、風霜の犯し難きを習ふな
り。菜羹サイコウを和クワして口に啜ススるは、気味の克ヨく調はんことを期するなり。」と。
 況んや年の潤月ジュンゲツは、一歳余分の春、月の六日は、百官休皈の景なるをや。今日
の事、今日の為シワザ、豈無事を為し、無事を事とするに非ずや。予、愚拙なりと雖ども、
久しく家風を習ふ。輿を廻メグらすこと時あり、筆を走らすに地トコロなし。聊か一端を挙
げて、文、点を加へずと、云ふこと爾シカり。謹んで序す。
 
 雲林院は古の淳和帝の離宮なり。貞観の頃常康親王の居宅となり、親王出家と共に遍
昭に付嘱して精舎となす。今日、主上御遊覧を機に、院主由性法師に権律師を授け、弘
延・素性の二法師には、新弟子二人ずつを施され給う(由性・素性の二法師は遍昭在俗の
時の子)。侍臣五六輩、詩を賦して帝の善根を喜び、院主一両僧、院内を清掃して敬意
を表す。侍臣は供養の香花の設けもなければ、境内の花と鳥の声とを捧げて供養に代え、
院主等は誠心もて仏前に合掌礼拝するのみ。
 予、かつて故老に聞けるあり、「正月子の日に野遊して老いを防ぐは、如何なる謂わ
れに基づくかと云うに、子の日の祝に松の樹に寄り添いてこれに撫づるは、その木の寒
風厳霜に犯されざるに習いて、我が身に老の至らざるを願うの意なり、七種ナナクサの菜を
和え羹アアツモノとなして食うは、気味よく調いて、無病息災ならんことを願う意なり」と。
 況や、今日は潤正月六日なるが、潤正月は一年余分の春なり、六日は百官休皈の日な
り。されば、この御遊びこそ、明王無為の化を敷き、平和を楽しむの佳遊と謂いつべけ
れ。予は性愚拙なれど家学の文章道に習えり。されど還幸の時刻トキは迫りて、之を記す
暇イトマなし。聊か一端を記して推敲を加えず。以上以って謹んで序す。
 
 
〈同前詩〉 
明王暗与仏相知     明王、暗に仏と相知り
垂跡仙遊且布施     跡を垂れて仙遊し、且つ布施フセしたまふ
松樹老来成繖蓋     松樹は老来ロウライ、繖蓋サンガイを成し
苺苔晴後変瑠璃     苺苔バイタイは晴後、瑠璃に変ず
暖光如浅慈雲影     暖光浅きが如し、慈雲の影
春意甚深定水涯     春意甚だ深し、定水ジョウスイの涯ホトリ
郊野行々皆斗薮     郊野行く行く、皆斗薮トソウ
和風好向客塵吹     和風は好し、客塵に向って吹け
 
帝は元仏でおわしたが、この世の明王として、
跡を垂れ給もうて此処に行幸遊覧なされ、僧等に布施を垂れ給う。
院の老松は緑の衣笠を開き、
青の蘚苔は瑠璃色に輝いている。
春の曙光も、仏の慈悲に比すればなお浅く、
静かに湛える池には、春の気配が著しい。
郊野を進み行けば、触れるもの悉く煩悩を消すが如し。
子の日の微風ソヨカゼよ、我らの汚れを吹き払い給え。
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