80a 菅家文草
 
〈苦日長 十六韻〉 − 日長きに苦しむ 十六韻
少日為秀才     少ワカき日、秀才たりしとき
光陰常不給     光陰、常に給せず
朋交絶言笑     朋トモとの交りに言笑を絶ち
妻子癈親習     妻子にも親しみ習ふことを癈せり
壮年為侍郎     壮年、侍郎たりしとき
暁出逮昏入     暁に出で、昏クレに逮オヨびて入る
随日東西走     日に随ひて、東西に走り
承願左右揖     願を承けて、左右に揖ユウす
結綬与垂帷     綬ジュを結ぶと帷トバリを垂るると
孜々又汲々     孜々シシとして、又汲々キュウキュウたり
栄華心剋念     栄華、心に剋念コクネンし
名利手偏執     名利、手に偏執ヘンシュウす
当時殊所苦     当時、殊に苦しむ所
霜露変何急     霜露ソウロ変ずること何ぞ急なる
忽忝専城任     忽ちに専城の任を忝うし
空為中路泣     空しく為に中路に泣く
吾党別三千     吾が党三千に別れ
吾齢近五十     吾が齢ヨワイ、五十に近し
政厳人不到     政、厳にして人到らず
衙掩吏無集     衙ガ、掩オオひて吏リ集る無し
茅屋独眠居     茅屋ボウオクに独り眠り居り
蕪庭閑嘯立     蕪庭ブテイに閑シズかに嘯ウソブき立つ
眠疲也嘯倦     眠り疲れ、また嘯きも倦ウみ
歎息而鳴慨     歎息して、鳴き慨ウレタむ
為客四年来     客と為りて、四年来コノカタ
在官一秩及     官に在る、一秩チツに及ばむ
此時最攸患     此の時最も患ふる攸トコロは
烏兎駐如繋     烏兎ウトの駐トドマりて繋ツナがるるが如きこと
日長或日短     日長く、或ひは日短かき
身騰或身繋     身騰アガり、或ひは身繋がる
自然一生事     自然なり、一生の事
用意不相襲     意を用モって、相アイ襲オソはず
 
二十才代の文章得業生だった頃は、
対策試験の準備に日もなお足らぬ有様、
学友との交際も、ふざけの席には出ないし、
妻子との睦みもなかった。
三十才代の式部少輔時代には、
早朝の出勤、日暮の帰宅、
太陽の後を追い掛けるように東西に走り、
上司の顔色を窺い、左右に頭の下げ通し、
役所の仕事と、子弟の教授とに、
骨身惜しまず勤めた。
菅家の栄えと一身の出世を、固く心に誓い、
名利の念に、頑カタクなまでに捕らえられていた。
その頃特別に苦しんだ栄華名利も、
運命の激しい変転で、
讃岐の国守を拝命することになり、
中道にして挫折したのは泣くにも泣けぬ。
門弟三千に別れ、
五十に近い老いの身で辺土に来たが、
政が厳格なので、近付く者もなく、
役所は空家に等しく登庁する役人も居らぬ。
私は独り茅屋に眠り、
時に草深い庭に立って詩を嘯く。
眠りに疲れ、嘯くにも倦むと、
吐息を吐ツき、やがて啜ススり泣く。
客居すること四年、
任期の果てるのも間近い。
この頃一番気になるのは、
時間の進行が停止はしないかと云うこと、
日が長く覚えたり、短く覚えたり、
この身が天に昇ったり、大地に繋がれたり、
一生のことは天命自然によるもの。
賢し心で天命に逆らうまい。
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