124 菅家後草〈謫居春雪〉
 
                  参考:太宰府天満宮学業講社発行「菅家後草」
 
〈謫居春雪〉   −  謫居の春雪
盈城溢郭幾梅花     城に盈ミち郭クワクに溢る幾梅花
猶是風光早歳華     猶是れ風光歳華早し
雁足黏将疑繋帛     雁足ガンソクに黏デンし将モって帛ハクを繋ぎたるを疑ひ
烏頭点著憶帰家     烏頭ウトウに点著して家に帰らんことを憶ふ
 
 公の辞世と察せられる七言絶句である。
 見渡せば真白きものが城にも郭にも満ちているが、それは梅花ではなくて、雪が積も
ってるのである。今や春だから梅花でもいゝ筈であるけれども、今年は梅が綻びるには
未だ寒過ぎるのだ。
 「城」は都府の官庁の布置する一画を指し、「郭」は市街を云う。
 ふと見ると、雁の足に白いものが付いている。あゝあれは雁帛ではないのか、故郷か
らの便りを届けたのかと胸が躍ったが、それは雁の足に雪がねばり付いているのであっ
た。
 また、頭の白い鳥が見える。烏頭白し − これは有り得べからざることを云う語であ
るが、自分が都に帰ることは、絶望だとの卜ウラナイであろうか。あゝ無情である。今一度
都が見たいと。
 
 「雁足に黏し将って帛を繋ぎたるを疑ひ」は、有名な蘇武の故事から来る。漢書に「
・・・・・・使者をして単干に謂はしめて曰く、天子上林中に射て雁を得たり。足に帛を係る
有り、蘇武某沢中に在りと書す」と。これから音信のことを雁帛・雁札と云う。
 「烏頭に点著して家に帰らんことを憶ふ」。史記刺客伝の賛の註に、「索隠曰く、燕
丹帰らんことを求む。秦王曰く、烏図白く、馬角を生せば、乃ち許さんのみと。丹乃ち
天を仰ぎて歎ず。烏頭即モし白からば馬も亦角を生ぜんのみ」とあって、このことから「
烏頭白し」「馬角を生ず」は、共に意外で有り得ないことに喩える。
 
 この詩は、立春が早ければ年内でよいが、或いは延喜三年の作かとも疑われる。何れ
にせよ公の最後の詩である。
 
 日本人として最も忍び難い罪名を受け、憤死もすべかりし身をこの筑紫の涯に流され、
朝夕、罪名の苛酷に哭き、生活の窮迫に苦しみ、妻子の上に思いを馳せ、雲居の辺りを
懸念し、やがて老の身に加えるに胃病と瘡癢が重なり、遂に都に憧れながらこの地に薨
ぜられた公の心事は惨絶の極みである。
 
 この辞世の詩に梅花を憧れているのは、意味が深い。
 五歳、阿呼アコの時代に、初めて和歌を詠んだが、それは梅の花であった。
 
 うつくしや紅の色なる梅の花 阿呼が顔につけたくぞある
 
 十一歳、初めて賦した詩も、梅の詩であった。
 
  月夜梅花を観る
 月の耀カガヤキは晴れたる雪の如く
 梅の花は照る星に似たり
 憐むべし、金鏡の転ずるを
 庭上、玉房馨カンバし
 
 筑紫に流される時、山陰亭の梅に対し、
 
 東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ
 
と詠じ、配所にあっても、
 
 ふる雪に色まどはせる梅の花 うぐひすのみやわきて忍ばむ(新古今集)
 
の詠がある。菅家文草を披見すれば、至る処に梅を賞する詩篇を見る。実に梅の凛冽
リンレツさ、清浄さ、香り高さこそは公の風格であり、心事であられた。されば大正天皇は
次のように詠ぜられておられる。
 
  菅原道真、梅花を詠ずるの図
 当時の名相是れ名家
 公暇詩を題して月影斜なり
 画裡清姿殊に躍々
 想ひ看る、心事梅花に似たるを
 
 以上、本書中の詩篇は、大鏡に拠れば「たゞちりぢりなるにもあらず、かの筑紫にて
作りあつめさせ給へりけるを、かきて一巻とせしめ給ひて、後集と名づけられたり」と
あり、類聚本の巻末には「西府新詩一巻と号ナづく。薨ずるに臨んで封緘し、中納言紀長
谷雄に送る。長谷雄之を見、天を仰いで歎息す。大臣の藻思絶妙、天下無双なり。卿相
の位に居ると雖も、風月の遊びを抛たずと。凡そ文章多く人口にあり。後代の文章を言
ふもの、菅家を推さざる莫し」とある。
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