101 菅家後草〈自詠〉
参考:太宰府天満宮学業講社発行「菅家後草」
本稿は、昭和二十八年太宰府天満宮学業講
社発行清藤鶴美氏著「菅家後草」(非売品)
を参考にさせていただきました。
奇しくも本年は、菅原道真公が神去りまし
て千百年であります。
本稿中の漢字は、新字体に準拠しました。
本稿中「公」とは、「菅原道真公」のこと
です。 SYSOP
− 昌泰四年 −
〈自詠〉 − 自詠ジエイ
離家三四月 離家リカ三四月
落涙百千行 落涙百千行
万事皆如夢 万事皆夢の如し
時々仰彼蒼 時々彼の蒼サウを仰ぐ
菅家後草冒頭の詩は、この五言絶句である。
公が京を出発されたのは日本紀略に拠れば、醍醐天皇の昌泰四年二月一日とある。
西下の途中、明石の駅長が、昨日までは右大臣右近近衛大将の顕職にあり、国家の柱
石として上下の倚信するところがあった公が、今日は太宰権帥に貶オトされ、警固の武士
に取り囲まれ、聞くも忌まわしい流人の身となって西下する、あまりに変わり果てたお
姿を見て、酷ヒドく驚き同情したのに対しては、
駅長驚くこと莫かれ
時の変わり改まるを
一栄一落
是れ春秋
の句を示し、栄枯盛衰は自然の理法、人生の免れ難いところ、更々驚くべきことでない、
悲しむべきことでないと、達観した丈夫マスラオ振りの心境を以て示された公であった。人
に対しては涙を見せぬ公も、心中の思いはまた格別である。
罪なくして配所の月を見る・・・・・・
誰が涙なきを得よう。
一門一族連座して四方に流離す・・・・・・
誰か断腸の思いなきを得よう。
九重の奥、妖雲いよいよ密に覆わんとする・・・・・・
公の憂憤措く能わざるところである。
苦しい長の旅路を終わり、太宰府官人の取調を受け、やっと与えられた粗末な謫所に
着いた。京の邸に比べれば、浅ましいまでに卑しく狭い住居ではあるが、此処に入って
一月経ち二月経つと、今までの張り詰めた気持ちもやゝに落ち着いた。
そして、幾らか馴れ染めた謫所の居間から、虚ろな眼で眺めておられる。
庭を・・・・・・。空を・・・・・・。
心中を去来するものは、来し方行く末である。
一門一族の悲しい運命である。
京の空である。
止めどもなく双の眼から涙が溢れ落ちる。
わななく口許から、呟ツブヤくように詩が流れ出た。
二月の初め、住み馴れた勾配殿を発ってから、早三月四月が経った。その間、見るの
つけ、また、あれを思いこれを案カンガえては、幾ばくの紅涙を絞ったことであろう。あ
ゝ、万事皆夢、昔時茫然、沈淪チンリンせる今の我が身さえ、現ウツツとは思えぬ程である。と
もすれば眼は蒼天を仰いで、人事空漠百事天命と、吐息を吐くことであると、謫居のや
るせない悲しみを詠ぜられた詩である。
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