08 高天原・葦原の中つ国・黄泉の国
 
      高天原・葦原の中つ国・黄泉の国/神道の世界観・宇宙観
 
                     参考:大法輪閣発行三橋健氏編「神道」
 
 上代の日本人は、自分の暮らす島々を[葦原アシハラの中つ国]と呼びました。それは恰
も、天空にある神々の世界[高天原タカマノハラ]と、地下にある死者の世界[黄泉ヨミの国]
との中間にあると観ミたからなのでしょう。中つ国とは、正に真ん中の国の意味なのであ
りました。葦原の中つ国はまた、[豊葦原トヨアシハラの瑞穂ミズホの国]とも呼ばれました。
豊葦原とは葦の生い茂る水辺の比喩で、瑞穂とは瑞々しく稔る穂の意味であり、水に恵
まれた肥沃な国ということになりましょう。
 日本神話に拠りますと、神々の意向を受けて、高天原から葦原の中つ国に降臨されま
したのが、天孫テンソン日子番能ヒコホノ瓊瓊芸命ニニギノミコトです。降臨の際、神々が命ミコトに授け
られたのは稲穂でした。然も「葦原の中つ国で繁栄するように」との祝福のお言葉も添
えられました。予め豊穣と繁栄とが約束された地、それが私共の先祖が暮らす島々なの
でした。葦原の中つ国たる[人の住む世界]は、江戸時代の学者本居宣長モトオリノリナガが述
べたように、高天原と黄泉の国との間にある、最も住み良い国だったのでした。このよ
うなの神話の中の理想郷の概念は、現世肯定主義に立脚するものでもあります。
 さて、天孫の降臨に先立って行われましたのが、神生みと国生みとでした。男女一対
の神に因って、神々や島々、更には人々をもが生まれるのでした。このように、いろい
ろなものを生む神話の粗筋は、世界的な規模で分布する類型に属します。
 日本神話では、世の中の初めに男女二神が全てを生んだと記しています。その男の神
の名を伊邪那岐命イザナキノミコト、女の神を伊邪那美命イザナミノミコトと云いました。初めに蛭子
ヒルコと淡島とを生みましたが、蛭子は流し、淡島は生んだ数には加えないことにしまし
た。二神はこのようになったことについて、高天原の神々の考えをお尋ねになりました。
神の行為としての結婚や国生みにも、高天原の神々の助言は必要なのでした。
 高天原の神々よる助言の内容は、結婚たることに関しての規範とも考えられますが、
それに従った二神は、次々に神や島を生みました。最後に生まれたのは火之迦具土ヒノカグ
ツチという火の神でした。これに因って伊邪那美命は、大火傷オオヤケドを負われ、お亡くな
りになりました。
 亡くなられた伊邪那美命は、黄泉ヨモつ国という死者の国へ行かれました。夫である伊
邪那岐命はは、妻を追ってこの国を訪れました。黄泉つ国には懐かしい妻伊邪那美命が
居られました。ところが「既に黄泉つ戸喫ヘグイ(死者の国の食事)をしてしまいました
ので、生者の国に戻らせてもらえるかは、分かりません」と言われました。なお、食事
を共にするとその世界の一員になるという考えには、飲食の持つ意味への大切な暗示が
あるのです。
 死者の国には、その国を治める神が居りました。「その神に相談してみたいので少し
待って下さい」と言って妻は姿を消されました。別れ際に妻は言いました。「私が戻る
までは何があっても覗き見をしないで下さい」と。
 訝イブカしく思われた夫は、櫛クシに火を点して視ました。すると其処には、蛆ウジの集タカ
った妻の死体がありました。驚きのあまり、伊邪那岐命は黄泉の国から逃げ出して仕舞
いました。そうはさせぬと、黄泉つ軍イクサが伊邪那岐命を追ってきました。これを何とか
防いで、やっとの思いで黄泉ヨモつ比良坂ヒラサカ(死者の国との境となる坂)に辿タドり着か
れました。
 黄泉大神ヨモツオオカミとなられた妻は、伊邪那岐命を追ってきました。死体を視られること
は、死者には屈辱でありました(病に因る死体などは如何なる理由があるにせよ、視て
はならない、ということではないでしょうか)。伊邪那岐命は黄泉つ比良坂において事
戸コトド(別れの呪文)を言い放ちました。黄泉大神伊邪那美命は「日に千人は死なせて
みせる」と言われました。伊邪那岐命は「日に千五百人を生んでみせる」と告げられま
した。なお、伊邪那美命のように、全てを生む神が同時に死をも司るという考えは、世
界的に分布する地母神の観念に拠っております。
 死者の国から戻られた伊邪那岐命は、死体の腐敗を視たことに因る穢ケガれを除こう
と、禊ミソギを行いました。
 この禊を境に、神道の信仰にとって重要な意味を持つ神々が現れなさいました。まず
祓ハラった穢れからは、災いの源である禍津日マガツヒの神が現れました。次いでそれを正す
ために直日ナオビの神が出現しました。そして最後に天照大御神アマテラスオオミカミ、須佐之男命
スサノオノミコト、月読命ツクヨミノミコトが現れなさいました。その天照大御神には高天原、また須佐
之男命には海、そして月読命には夜を治めよとの命令が下されました。
 困ったことに、須佐之男命は母のところへ行くのだと駄々をこねましたが、お別れを
言いに姉天照大御神のところに立ち寄りました。その須佐之男命は何故か高天原におい
て乱暴狼藉に及びました。初めは好意的でありました姉神も、遂に耐えきれず天アメの岩
屋戸イワヤトにお篭りになられました。そのため、世の中は真っ暗闇になって仕舞いました。
即ち太陽神たる天照大御神がお隠れになられたので、暗くなるのは当然でした。
 神々は相寄って話し合われました。八意思兼神ヤゴコロオモイカネノカミの考えに拠り、天照大御
神を呼び戻し申させることになりました。太玉命フトタマノミコトが天照大御神をお讃えし、天
児屋根命アメノコヤネノミコトが祓ハラエの祝詞を読み上げ、天宇受売命アメノウズメノミコトには舞を舞わせ
ました。併せて常世トコヨの長鳴鳥ナガナキドリ(にわとり)を鳴かせましたので、天照大御神
は何事かと少しばかり岩戸をお開けになられました。すかさず手力男命タジカラオノミコトがこ
れをお閉ざし申し上げました。
 こうして一件は落着しましたが、須佐之男命は高天原から永久に追放されることにな
りました。この追放という行為が本来の祓である考えられ、「大祓オオハラエ詞」として今日
に伝わっています。大祓詞に拠りますと、生じた罪穢れは、川から海へと送り出され、
やがて根の国底の国に呑み込まれて消え失せて仕舞います。
 日本の固有信仰である神道では、神々を祭るのと同様に、亡くなった人の魂をも祭っ
てきました。
 古来日本人は、神々や、亡くなった人等が居られる国は海の彼方に在る、と感じとっ
ていました。また時代を遷移によってそれは、山上や地中、又は海中に在るとも考えら
れるようになりました。何れの場合においても、死者の魂は、生者の世界に寄り来たっ
て、自分の子孫による祭りを受けてきました。このような祭りの繰り返しに因って、死
者の魂を少しずつ高め、終いには「祖先」として祭り上げることとなりました。このよ
うに死者を祭り上げることを、神道においては[神上がり]、即ち「神」になられたと
言っております。
 従って私共は、自分の死後は、生き残っている者が必ず自分を祭ってくれるのだと心
を安くしていることができるのです。残された者は、亡くなった人を懐かしんでその魂
を大切にお祭りします。そして誰しもが、死後には祭らしていただくのだと信じている
のです。即ち人の死というものがその人の生き方を決めることにもなりますので、その
死に方もまた、その人の生き方の如何に拠ることとなるのです。
 日本人の生活の中では、このような無言の教えが当然のこととして含んで営まれてお
ります。それこそが、葦原の中つ国における神道なのです。

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