18b 巻十九
阿倍朝臣アベノアソミ老人オキナ、唐モロコシに遣ツカハさるる時トキ、母ハハに奉マツれる悲別カナシミの歌
ウタ
天雲アマグモのそきへのきはみ吾ワが念モへる きみに別ワカれむ日ヒ近チカくなりぬ
右ミギの件クダリの歌ウタは、伝ツタへ誦ヨめる人ヒト、越中コシノミチノナカノクニノ大目ダイサクワン高安
タカヤスノ倉人クラヒト種麿タネマロなり。(巻十九)
京ミヤコに向マイノボルる路上ミチにて、興コトに依ツけて予カネて作ヨみ、宴トヨノアカリに侍ハベりて
応詔ミコトノリヲウケタマリテヨメル歌ウタ並マタ短歌ミジカウタ
蜻島アキツシマ 山跡国ヤマトノクニを 天雲アマグモに 磐船イハフネ浮ウカべ ともにへに まかい繁シジ
貫ヌき いこぎつつ 国クニ看ミしせして あもりまし 掃ハラひ平タヒらげ 千代チヨ累カサね
いや嗣継ツギツギに 知シらし来クる 天之日継アマツヒツギと 神カムながら 吾ワが皇オホキミの
天下アメノシタ 治ヲサめ賜タマへば もののふの 八十ヤソとものをを 撫ナで賜タマひ ととのへ
賜タマひ 食国ヲスクニの 四方ヨモの人ヒトをも あぶさはず 愍メグみ賜へタマば 古昔イニシヘよ
無ナかりし瑞シルシ たびまねく 申マヲしたまひぬ 手タ拱ウダきて 事コト無ナき御代ミヨと 天
地アメツチ 日月ヒツキとともに 万世ヨロヅヨに 記シルし続ツがむぞ やすみしし 吾ワが大皇オホ
キミ 秋花アキノハナ しが色色イロイロに 見ミし賜タマひ 明アキらめたまひ 酒サカみづき 栄サカゆ
る今日ケフの あやに貴タフトさ
反歌カヘシウタ
秋時アキの花ハナ種クサグサにあれど色別イロコトに 見ミし明アキらむる今日ケフの貴タフトさ(巻十九)
左大臣ヒダリノオホマヘツギミ橘タチバナノ卿マヘツギミを寿コトホがむ為タメ、予カネて作ヨめる歌ウタ
古昔イニシヘに君キミが三代ミヨ経ヘて仕ツカへけり 吾ワが大王オホキミは七世ナナヨ申マヲさね(巻十九)
十月カミナヅキ二十二日ハツカアマリフツカ(天平十六年)左大弁ヒダリノオホキオホトモヒ紀キノ飯麻呂イヒマロノ
朝臣アソミの家イヘにて宴ウタゲせる歌ウタ
手束弓タツカユミ手テに取トり持モちて朝猟アサカリに 君キミは立タたしぬ多奈久良タナクラの野ヌに
右ミギは、久邇クニノ京都ミヤコの時トキの歌ウタなり。作主ヨミビト未イマだ詳ツマビラカならず。
(巻十九)
壬申ミヅノエサルノ年之乱トシノミダレ平定タヒラぎし以後ノチの歌ウタ
皇オホキミは神カミにし坐マせば赤駒アカコマの 腹ハラばふ田タゐを京師ミヤコとなしつ
右ミギは大将軍オホキイクサノキミ贈オヒテタマヘル右大臣ミギリノオホマヘツギミ大伴卿オホトモノマヘツギミ作ヨめ
り。
大王オホキミは神カミにし坐マせば水鳥ミヅトリの すだく水ミぬまを皇都ミヤコとなしつ(巻十九)
作者ヨミビト詳ツマビラカならず。
閏ノチノ三月ヤヨヒ(天平勝宝四年)、衛門督ユケヒノカミ大伴オホトモノ古慈悲コジヒノ宿禰スクネの家イヘ
にて、入唐ニッタウノ副使フクシ同オナじき胡麿宿禰コマロノスクネ等ラを餞ハナムケせる歌ウタ
韓国カラクニにゆきたらはしてかへりこむ ますらたけをにみきたてまつる
右ミギは多治比タヂヒノ真人鷹主マヒトタカヌシ、副使フクシ大伴オホトモノ胡麿宿禰コマロノスクネを寿コトホ
ぐなり。
梳クシも見ミじ屋中ヤヌチもはかじくさまくら たびゆくきみをいはふともひて
右ミギの件クダリの歌ウタを伝ツタへ誦ヨめるは、大伴宿禰オホトモノスクネ村上ムラカミ、同オナじき
清継キヨツグ等ラ是コれなり。(巻十九)
従四位ヒロキヨツノクライノ上カミツシナ高麗朝臣コマノアソミ福信フクシムに勅ミコトノリして、難波ナニハに遣ツカハ
し、酒肴オホミキミサカナを入唐使ニットウシ藤原朝臣フヂハラノアソミ清河キヨカハ等ラに賜タマへる御歌ミウタ
並マタ短歌ミジカウタ
虚ソラ見ミつ 山跡ヤマトの国クニは 水ミヅの上ヘは 地ツチ往ユく如ゴトく 船フネの上ヘは 床トコに
坐ヲる如ゴト 大神オホカミの 鎮イハへる国クニぞ 四ヨツの舶フネ 舶フナのへならべ 平安タヒラけく
早ハヤ渡ワタり来キて 還カヘリ事コト 奏マヲさむ日ヒに 相アヒ飲ノまむ酒キぞ 斯コの豊御酒トヨミキは
反歌カヘシウタ
四ヨツの舶フネ早ハヤ還カヘり来コと白香シラガ著ツけ 朕ワが裳モの裙スソに鎮イハひて待マたむ(巻十九
)
応詔ミコトノリヲウケタマハらむ為タメに儲カネて作ヨめる歌ウタ並マタ短歌ミジカウタ
あしひきの 八峯ヤツヲのうへの つがの木キの いや継継ツギツギに 松マツが根ネの 絶タゆ
る事コトなく 青丹アヲニよし 奈良ナラの京師ミヤコに 万代ヨロヅヨに 国クニ知シラさむと やすみ
しし 吾ワが大皇オホキミの 神カムながら おもほしめして 豊宴トヨノアカリ 見メす今日ケフノヒは
もののふの 八十伴雄ヤソトモノヲの 島山シマヤマに あかる橘タチバナ うずに指サし 紐ヒモ解トき
放サけて 千年チトセほぎ ほぎとよもし ゑらゑらに 仕ツカへ奉マツるを 見ミるが貴タフトさ
反歌カヘシウタ
すめろぎの御代ミヨ万代ヨロヅヨに如是カクしこそ 見ミしあきらめめ立タつ年トシのはに
右ミギは大伴宿禰オホトモノスクネ家持ヤカモチ作ヨめり。(巻十九)
十一月シモツキ八日ヤウカ(天平勝宝四年)太上オホキ天皇スメラミコト(聖武天皇)左大臣ヒダリノ
オホマヘツギミ橘朝臣タチバナノアソミの宅イヘに在マシマして、肆宴トヨノアカリきこしめす歌ミウタ
よそのみに見ミてはありしを今日ケフ見ミれば 年トシに忘ワスれず念オモほえむかも
右ミギは太上オホキ天皇スメラミコトの御歌ミウタ
むぐらはふいやしき屋戸ヤドも大皇オホキミの 坐マさむと知シらば玉タマしかましを
右モギは左大臣ヒダリノオホマヘツギミ橘卿タチバナノマヘツギミ
天地アメツチに足タらはし照テりて吾ワが大皇オホキミ しき坐せばかも楽タヌしき小里ヲザト
右ミギは少納言セウナゴン大伴宿禰オホトモノスクネ家持ヤカモチ(巻十九)
二十五日ハツカアマリイツカ(天平勝宝四年十一月)新嘗会シンジャウエの肆宴トヨノアカリに、応詔
ミコトノリヲウケタマハリテヨメル歌ウタ
天地アメツチと相アヒさかえむと大宮オホミヤを つかへまつれば貴タフトくうれしき
右ミギは大納言ダイナゴン巨勢朝臣コセノアソミ
天地アメツチと久ヒサしきまでに万代ヨロヅヨに つかへまつらむ黒酒クロキ白酒シロキを
右ミギは従ヒロキ三位ミツノクライ文屋フミヤノ智奴麻呂チヌマロノ真人マヒト(巻十九)
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