18 明浄正直の心
神道は、人間を神の生みの子として捉えるが、それは人間が完全なものであることの
認識を意味するのではない。また神にも、全智にして全能なる神の坐さぬことによって、
それは明らかである。
それでは、人間が神の生みの子であるとする信仰は、一体、何を意味するのであろう
か。
それは、八百万の神々が、それぞれの神格の高下、御神威の大小あるに拘わらず、等
しく神であられるように、最大限、一人一人の人間が、価値の主体であり、行動上の責
任主体であることを意味している。
しかし人間は、決して生まれたまゝで神の子であるのではない。幼児が人間になると
云うことは、人間が神の子としての責任を果たし得る主体的存在となる、と云うことを
意味している。
しかも神道における人間は、決して西洋で捉えられた絶対者の前に立つ、個としての
被造物、神によってのみ、永遠の生命(救い)を与えられるべき存在なのではない。
人間は、表意文字としての漢字が示すように、他者との関係においてだけでなく、神
々・自然、或いは感覚的に接することの不可能な祖先や、まだ見ることの無い後の世代、
更には、時間としての歴史との関係においてこそ、人間として認識されているのである。
当然、わが国においては国民として、諸外国に対しては日本人として、いかに在るべ
きか、いかに行為すべきかが、問われて来なければならない。
従って、神道の倫理は、常に国民道徳としての性格を中心としてきたのである。
神道が神道として自覚され、その制度化が始まるのは、推古天皇の御代(592~628)
であった。それまではなお、国家体制そのものが、部族(氏族)連合の形態を保ち、中
央政権的性格が希薄であったからである。
事実推古天皇の十一年十二月『日本書紀』に拠ると、わが国では初めての冠位が定め
られている。それに用いられた称名は、徳・仁・礼・信・義・智の六種で、明らかに、国家へ
の忠誠が、諸徳の中心として認識されていたのである。しかもその内容が、儒教徳目で
あることは明らかであるが、これは、当時既にこの世界の大国として、強大な国力と勝
れた文明とを持つ中国から学んだものであり、儒教そのものが、勝れた政治哲学を備え、
かつその性格が、わが国への適用を可能にする普遍性を備えていたからである。
翌十二年夏四月、わが国最初の憲法が公布された。
この十七条憲法は、天皇を中心とする国家への忠誠を唱った、神道倫理の宣言であっ
たのである。
その後、天皇の詔を大和言葉で表現しようとする試みを生むことになった。
『続日本紀』に伝える文武天皇(在位697~707)即位の詔に、「明浄直誠之心以而」
の言葉が見える。
即ち神道倫理の第一義は、明く浄く、正しく直き心を以て、天皇スメラミコトに仕え奉るこ
とであると云うことになる。
この精神は、奈良時代最後の歌人大伴家持が
「族ヤカラに喩す歌」
に遺憾なく表明されている。
この長歌は、台頭して来る藤原氏の前に、一族の命運を予見して唱われたものとされ
る。
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