61 英雄伝説
 
               参考:新人物往来社発行『日本「神話・伝説」総覧』
 
[英雄伝説]
 
 英雄と云う語は元は漢語で、単に傑出した人物を指す語ですが、明治以後はギリシャ
語の、半神・半人の神話的人物を意味するヘロースherosから来た英雄heroの訳語として
用いられ、英雄神話とか、英雄伝説などと云う語と共に、用いられるようになりました。
 英雄神話と英雄伝説との厳密な区別は、西欧でもあまり明確ではありませんが、前者
はヘラクレスとかペルセウスなどのような、超自然性や神話性に富む存在の説話を指し、
後者は実在性の強い歴史人物のそれを云うようです。
 それにしても、後者の場合さえ、それが人々の口の端ハに上り、職業的伶人たちによっ
て語り継がれますと、やがて超自然的主題モチーフが加わります。ペルシャのキュロス大王
が幼時、野山に捨てられ、動物に育てられたり、アレキサンダー大王の出生が母のオリ
ンピアの寝床を、ゼウス大神若しくはエジプトの魔法使いの王ネクタネプスが、大蛇に
化して訪れ、受胎したことによってなされたと云うような話など、その例です。古代人
にとっては、神話的な「半神半人的英雄」も、実在確かな英雄も、等しく「かつて実在
した人物」であり、何れも文化や制度のもたらし手としての超人スーパーマンであると信じら
れました。即ち、「半神半人の英雄」こそが、総ての英雄の「原像」でした。未開人の
間にも、そうした文化や制度のもたらし手としての超自然的人物の伝承があり、「文化
英雄」と呼ばれます。東アジアの諸国でも、神々とは違った半神半人の人物が、建国し
たり、文物・制度などを創始したと云う伝承が少なくありません。中国古代の尭・舜・
禹などの聖王伝承や、朝鮮の壇君、朱蒙、赫居世などの建国伝承もそうです。彼等は純
粋な天神地祇ではなく、半分は人であり、陵墓に葬られました。
 
 ギリシャ・ローマでも、ヘーロースはオリンパスの天神たちとは違い、神殿には祀ら
れずに、墓に葬られ、その側の廟所ミタマヤに祀られました。その祭りはオリンパスの神々
とは違い、死者祭祀に準じた形で行われました。超自然的要素はあっても、所詮は人間
と考えられたのです。ギリシャの都市毎に、その守護霊として、また氏族の族祖として、
ヘーロースを持ち、墓所と廟を持っていました。
 わが国の古代でも、神は神社に祀られて墓はなく、人は墓所に祀られて神社には祀ら
れない、と云う思想があります。神武天皇、倭建命、神功皇后など、人代の英雄は、『
日本書紀』『延喜式』などには、ちゃんとした陵墓が記され、神社には祀られていませ
ん。
 宇佐八幡宮を、仲哀・神功・応神の三所を祀るとしたとか、大鳥神社、白鳥神社など
を、倭建命を祀るとしたのは、後世の思想に因ります。
 
 ところで、近代の欧米の説話研究において、関心の的となっている問題として、「英
雄説話の模型」と云う題テーマがあります。
 英雄は、一般に洋の東西を問わず、次のような一定の筋書きの生涯を持っています。
即ち、
(1) 父か母かが神若しくは動物で、彼はその血を受け、
(2) 生まれが王室であり、
(3) 生後直ちに山中に捨てられ、小舟で流され、
(4) 成長して様々な試練や苦難に遭い、
(5) 怪物・巨人などを退治する冒険を行い、
(6) 各地に漂泊・流浪して、辛酸を嘗め、
(7) 死から蘇生したり、
(8) 他界に降ったりして、
(9) 美女を得、
(10)様々な文物・制度を作り、人々に仰がれるが、
(11)その生涯は不遇・非運で、最後まで栄光の地位を得ず、又は一時得てもこれを失い、
(12)若くして非業の死を遂げる、
との形です。イギリスのラグラン、オランダの・ヤン・ドフリース等の学者が、そうした
範型について論じ、また数多くの英雄譚を、これらの項目に合わせて、その英雄性の有
無を検証しました。
 
 このような英雄の模型の、底にある古代的思念としては、一種の「神の子」信仰があ
ります。神は人間に文物・制度などを与えるため、その血を受けた子を、人間界に生ま
れ替わらせますが、本人は半神半人の超能力の保有者にも拘わらず、人間社会はこれを
受け入れず、様々な迫害や厄難を与えます。幾度も死線を越えますが、その試練を乗り
越え、幾多の文化的業績を挙げますが、最後に不幸な死を遂げると共に、その死も異常
で、奇瑞に満ちたものです。その生涯が苦難に満ちたものであっても、神の目から見れ
ば、本人は神の使命を果たした功績者なのです。
 
 この英雄の世界的範型から見ても、わが国の倭建命物語が、典型的な英雄型であるこ
とが分かります。イギリスのビル・バトラーは、倭建命の霊の白い鳥に化しての飛翔も、
神の子としての「神性」の証であるとし、そうした英雄の範型から説明しました。
 わが国の英雄論は、戦前に高木市之助に始まり、戦後石母田正、西郷信綱等によって
展開された「英雄時代論」が、一時学会の注目を浴びましたが、現在では下息シタヤみとな
っています。この説は、元ヘーゲルに発し、二〇世紀の初め、H・M・チャドウィックやW・P
・カー等が、西欧の叙事詩発生論において、実証的に展開した理論で、原始的族長時代か
ら古代社会への過渡期の混乱・激動期に、実際の英雄的首長等の側近の部下や伶人たち
が、常に戦場の宴の場で、英雄の偉業をはやす讃歌パネジリクスや、その葬送の場で、生前
の功績を偲ぶ挽歌ラメントを、即席に朗唱すると云う風があり、これが古代社会定立の後に、
その英雄の一代記を語る武勲詩シャンソン・ド・ジェスト(叙事詩的軍記物)などの成立の萌芽と
なったと云う説で、英雄時代とは、その激動期を指す語であると云い、その讃歌や挽歌
には、まだ専制国家の王侯には見られない、人間的個性が表れていると云います。
 
 高木は西洋叙事詩発生論を採り上げて、『古事記』神武東征の久米歌の分析から、英
雄時代の存在を説き、石母田は、この英雄時代を文芸史概念ではなく、歴史的概念と考
えました。
 しかし、「英雄時代論争」において、わが国において欠けている部分は、「英雄」の
本質に関する概念設定であり、その語り手との結び付きの問題です。これが欠けますと
「実証」を離れた抽象理論になりかねません。現在の欧米学会では、英雄論も、チャド
ウィック等の時代とは違い、遥かに詳細・精緻セイチな分析が行われ、前記のヤン・ド・フリ
ース、C・M・パウラ、ニルスソン、カーク等が、それぞれ独自な説を打ち建てています。
わが国の英雄時代論も、これらに無関心であってはなりません。
                            (原執筆者:松前健氏)

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