0901李朝陶磁
 
                    参考:小学館発行「万有百科大事典」ほか
 
〈李朝陶磁リチョウトウジ〉
「李スモモ」
 バラ科サクラ属の落葉小高木。中国原産で、古くわが国に渡来し、果樹として栽培。
葉は小さく、広披針形又は倒卵形。花は白色。果実はモモ様で小さく、酸味を帯びる。
生食、またジャムなどにする。種子の仁は苦扁桃と同様に薬用。近縁種にセイヨウスモ
モ(プラム)がある。
 
「李朝陶磁」
 李朝時代初期の陶磁器としてまず挙げられるのは、三島手と総称される、三島・刷毛目
・粉引コヒキなど、鼠色の素地キジに白土の化粧掛けを施した堅い陶器の一群である。三島は
高麗時代の象嵌ゾウガン青磁から転化したもの、器面の一部又は全体に細かい花文や渦文
などを印花の手法でびっしり押し、其処に白土を塗り込んでから、青味を帯びた透明釉
を架けて焼き上げたもの、花三島・暦手コヨミテ・渦三島・礼賓三島・象嵌三島(彫三島)など
多くの種類がある。刷毛目は刷毛で白土を塗り、透明釉を掛けたもの、これに線彫センボリ
と掻落カキオトシで文様を表したものを彫刷毛目、鉄絵具で文様を描いたものを絵刷毛目と呼
ぶ。全体に白土を掛けて透明釉を施したものは粉引、これに鉄絵文様を加えたものは絵
粉引である。これらの三島手は、主として朝鮮半島南部で焼造されたもので、忠清南道
公州郡の鶏流山窯は優れた三島手の窯として名高い。
 
 また李朝初期には、京幾道の広州郡を始め各地に白磁の窯が興った。李朝時代の人々
はその儒教的な生活感情から、白色に対する好尚が強かったと云われ、これによって白
磁の器物が喜ばれ、その生産が促されたと考えられている。高麗青磁のように、李朝時
代を代表する陶磁器は白磁で、独特の柔らかみのある、様々の魅力のある白磁が作られ
たのである。
 
 十五世紀の中頃、中国で発達した染付磁器が朝鮮にも運ばれて、その影響下に染付の
焼造が広州の窯で試みられた。初期の李朝染付の中には、中国明初の染付を真似たもの
があり、興味深い。しかし染付の原料である呉須ゴス(コバルト)は朝鮮にはなく、中国
から運ばれたため、染付の製作は些か制限が加えられ、またその使用者も王侯貴族など
に限られていたと云われる。十六世紀頃、余白を大きく残して簡素な文様を描く秋草手
や窓絵手の磁器が作られるようになったが、遺例は決して多くはない。それらの中には
他に類のない静かな美しさを示す優品があり、珍重されている。
 
 染付と共に、釉下に鉄絵具で文様を描くいわゆる鉄砂も各地で焼かれた。これは染付
と違って奔放な文様を表したものが多く、特に北部の製品には特異な味わいのある魅力
的なものがある。また釉下に銅で文様を描き淡紅色に焼き上げたいわゆる辰砂も、一部
の窯で行われたが、これは焼成技術が難しく、古い遺例は極めて少ない。
 十六世紀末の壬申丁酉の乱(文禄慶長の役)と、十七世紀初頭の後金(清)軍の侵入
は、朝鮮の陶業に大きな打撃を与えた。その後次第に立ち直って、広州分院窯などでは、
やがて精妙な文房具なども作るようになったが、全般に亘って雑器的な性格が強まり、
技術の停滞が現れた。
 十九世紀中葉、わが国の磁器や染付原料の輸入によって、李朝の陶業は壊滅した。
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