0801熊野
 
                    参考:小学館発行「万有百科大事典」ほか
 
〈熊野ユヤ〉
「熊クマ」
 ネコ目クマ科の哺乳類の総称。アジアにヒマラヤグマ・マレーグマ・ナマケグマ、北米
にアメリカクロクマ、南米にメガネグマ、更に北極周辺にホッキョクグマ(シロクマ)
とヒグマの7種がいる。体は太く、四肢は短い。わが国本土産はヒマラヤグマの亜種で、
毛は一般に黒、喉に三日月形の白斑を持つのでツキノワグマと呼ばれる。広葉林を好み、
よく木に登る。雑食性だが、植物質をよく食べる。北海道のクマはヒグマで、ツキノワ
グマより大形、毛は赤褐色から黒。
 
「熊野」
 能の曲名。三番目物(鬘物カズラモノ)。世阿弥作とも伝えるが未詳。「湯谷」とも。『
平家物語』の「海道カイドウ下り」を典拠とする。
 平宗盛(ワキ)が従者(ワキツレ)を従えて登場する。都の宗盛の屋敷である。宗盛
の寵愛を受け、都に留め置かれている遠江池田の宿シュクの長チョウ熊野の許へ、故郷から御
内ミウチに仕える朝顔(ツレ)が上京、母の手紙を届ける。熊野は、命のあるうちに一目会
いたいと云う老母の手紙を宗盛に読んで聞かせ(文フミ之段)、暇イトマを請うがどうしても
許されない。心ならずも車(花見車の作り物)に乗り、花見へと同行、一行は華やかな
都の街を通り(ロンギ)、東山の清水寺に着く。熊野は宗盛に所望されて、一さし舞(
中チュウ之舞)を舞う。そして折からの俄雨に桜の散るのを見て母を想い、歌を詠む。これ
に感じた宗盛は暇を与え、熊野は東を指して下って行く。
 
 浮きやかな春の風情の中で、独り愁いに沈む熊野を描く能。「文之段」は、普通シテ
一人で読むが、ワキが一部を読んだり二人で連吟したりする小書演出「読次ヨミツギ之伝
デン」があり、愛情細やかな表現である。本曲の中之舞は「イロエ掛り」で、本曲と『松
風』にのみ存在する。故郷の母を想いながら舞うのであるから、気の進まぬままに、早
く切り上げたい心で舞う。折から舞の途中で村雨が花を散らすのを見て舞い止める「村
雨留ドメ」「花之留」の小書演出がある。また舞を短縮する小書「三段之舞」もある。平
宗盛は清盛の三男で兄に重盛・基盛があり、弟には知盛・重衡等がある(重衡は『千手
センジュ』のツレとしても登場する)。『熊野』は古来「熊野松風は米の飯」と云われ、秋
の名曲『松風』に対し春の名曲として、共に人口に膾炙した人気曲である。
 
 邦楽では山田検校作曲の箏曲を始め、河東節(1849)、明治二十八年(1895)三世杵
屋六四郎札曲の長唄などに採り上げられている。
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